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暴力によってねじ曲げられる人生。避けられるかどうかは運次第という現実

痛ましい暴力事件の詳細が連日のように報道されています。小さな世界、少年にとってすべての世界は理不尽な暴力に満ちていたようです。逃げることも出来ないまま、理不尽だけを知って痛みと共に命を終えてしまった。こんなに悲しいことはないでしょう。

 





暴力」が支配している。過言ではない。大人の男は程度の差はあれ、経験しているはずなのだが、忘れてしまう。たぶん、記憶にとどめたくない経験なのだろう。忘れたがっている。自分はそんなことはなかったという方もいるか。それは運が良かっただけなのだ

▼川崎市の中学一年生の上村遼太君が殺された。上村君が付き合いをやめたがっていたグループの少年三人が逮捕された。事実解明を待たねばならないが、首を刺された揚げ句、寒空に衣服を脱がされ放置されたという新聞記事の文字が目に、胸に突き刺さる

▼現場となった河川敷。被害者とは縁もゆかりもない方も足を運んでいる。大人として救えなかったことが申し訳なく、苦しいのであろう

▼暴力があふれる少年期に、運の悪い子は餌食にされ、孤独な戦いを強いられる。誰にも相談できない。報復も怖い。勇気とは自分で解決することと勘違いもする。親や友人も心配させたくない。優しい子ほど、黙り込んでしまう

▼少年期の野蛮な行為にわれわれは寛容すぎたのではないか。「やんちゃな時期」などというふざけた言葉に免罪符は絶対にやれぬ

▼あらゆる暴力から子どもを守る。大人の責任である。少年期に誰かによって、殺されることなく生き延びた大人は暴力や脅迫に怯(おび)えた日を思い出すべきである。上村君はあの時の私やあなたである。

via: 中日春秋:中日春秋(朝刊コラム):中日新聞(CHUNICHI Web)

 

暴力という災害

世の中には二種類の人間がいると思います。世の中には理不尽な暴力があることを知っている人と、知らずに育つことが出来た人です。この差はとても大きく、生涯にわたって世界を見る目を大きく変えることになります。

 

最も早くそれを知ることができる人は、両親がそういう人ですね。ちょっと飲み物をこぼしただけで近隣の家が警察を呼ぶほどの金切り声を上げて叱り、手を上げ、痛みと恐怖で縛り上げ失敗を極端に嫌うような親。

 

酔っ払って家に帰ってきて、妻が化粧をしていただけで「浮気でもしているのか!」と殴り、髪を掴んで顔面を床に押し付けて腹を蹴る。それを止める子供を骨が折れる勢いで蹴り飛ばす。誰も助けてはくれません。助けてくれるはずの親の理不尽を小さな体で受け止めるほかないのです。

 

兄弟がそういう人ならどうでしょう。気性が荒く、機嫌を損ねると家の椅子を振り回して物を破壊し、親の言葉も聞かず家に友人を集め酒を飲み昼夜を問わず騒ぐような人。父親よりも力が強くなってしまえば逆らえる人はいません。家族のことで警察を呼ぶことも難しいでしょう。

 

先輩にこういう人がいたらどうでしょう。年下を集めてボスを気取り、自分の連絡に返事をしなかったら何度も電話をしてきて返事をしなかったことを詰り、昼から遊ぶために学校に行かないことを強要します。もしも学校に勝手に行った時には教室に乗り込んできたり、校門で待っていたりします。

 

時には家にやってきてドンドンドンドンドンと大きな音でノックをしてくるかもしれません。小さな兄弟がいたら、その音に恐怖を覚えてしまうでしょう。そうなるくらいならと、学校も休み、先輩と一緒にいるようにするほかないのかもしれません。

 

暴力と出会ってしまうということ

さて、上記のような文章を読んでどう思われるでしょうか。腸が煮え繰り返るほど嫌悪を覚える人もいれば、こんなものは序の口だという方もいるでしょう。ドラマの中だけの話だ、と現実感を持たずに読んだ方もいるかもしれません。

 

この「ドラマの中だけの話だ」と現実感を持たずに読んだ方こそが、理不尽な暴力に接することなく育つことのできたラッキーな人たちなのです。そしてそんな人もたくさんいます。しかし、そうではない人もたくさんいます。

 

今回のこの痛ましいニュースに、親は何をしていたんだとか、学校や友人にできることはなかったのか、とコメントをする方を2chやtwitterで見ることがあります。そう思ってしまうこともわかります。

 

しかし、時に暴力はどうしようもなく人の人生を破壊します。たとえこの母親が状況を正確に認識することができたとして、それで一体何が出来たのでしょうか。仕事をしないと十分な生活も送れない状態で、彼らと戦うことが出来たのでしょうか。

 

人は人を傷つけ、そこに喜びを見出すことができる存在です。人を馬鹿にして喜びを覚えることができる存在です。しかし全ての人がこんなにも強い加虐的喜びを抱くわけではありません。ただ、そんな人に出会ってしまうかどうか、ただそれだけが分節点なのです。

 

まとめ

暴力というのは、ただただ恐ろしいものです。人は暴力の前では屈服されてしまいます。誇りや尊厳も失い、ただ痛みに耐えることしかできなくなってしまうのです。意志の力が奪われてしまうのです。何が本当に正しいことなのか、勇気とはなんなのか、ほかにやり方はないのか、そんなことを考える力の全てを奪うもの、それが暴力なのです。

 

そんな中、被害少年はどうやら最後の最後までそんな気高さを失わないまま、しかしこの不幸な出会いのために、命を失ってしまったようです。

 

行政や学校や家族がどんなことをできたのか、するべきだったのか。簡単に出せる答えはありません。ただ、この痛ましい死を受け止めるにはどんな心であればいいのかを書き連ねました。暴力はすぐそばにいる。冒頭に書いたような人たちは街の中で当たり前のように暮らしている。

 

出来ること、すべきことはきっと人によって立場によって違います。ただ、暴力とはこのようなものなのだと、そういった理不尽な暴力に接することなく育つことのできた人たちが少しでも理解することが出来たらいいなと思います。

 

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