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ブログで書くということはそのときの感覚を残す事

ブログで書くこと

「ブログで書くこと」について、ズイショさんとシロクマ氏がウェブ上で議論をしています。

 

ズイショ氏:書くことは本質的に罪深い行為だ。第三者の目に触れる場所で「現在進行形」の意見を書くのは有益とはいい難い

シロクマ氏:書くってことはそんなに難しいことではない。人目に触れる場所で思考をまとめるのも、副作用を承知して使う分には問題はない。



私は考えてない

わたしは、自身のウェブサイトやキジトラ速報では、そんなに考え込んで書いていないので、どっちかというとシロクマ氏寄りの意見かなぁ。

 

ある程度考えをまとめたつもりで執筆しても、途中で内容が変わってしまう…そのようなこともしばしば。ですから、最近では常に考えながら書くようにしています。あらかじめ考えて書くよりも、変化に富んだアクロバティックな文章を書けるってメリットもw

 

そもそも、ウェブに文章を書く「目的」が、ズイショ氏・シロクマ氏とわたしとでは違っているような気もします。わたしは、ライターとして文章をカネにするために書いています。考え抜いて推敲した文章でも、思い浮かぶままに徒然と書いた文章でも広告収入・原稿料は変わらないんだなぁ… だから、2人の議論はどうもしっくりこない。

 

ツイッターの話

ただ、ツイッターに置き換えて考えると割としっくりきます。ツイッターのやり方にも2種類ある。じっくり考えてからポストする方法と、思い浮かんだことをパッと投下する方法。1時間に100ツイートすることもあるわたしは、断然後者w投げた5秒後にはしまった…と後悔することもありますが、一度投稿したツイートは削除しないようにしています。

 

そういう意味では、ズイショさんが言っている「押しピンのようなもの」という感覚はしっくりくる。

 

日本人らしい行為

ただ、罪がどうこうっていうのは理解できませんwそのときの感覚を残すって非常に日本人らしい行為だと思うんですよねぇ。短歌・俳句なんか典型でしょう。日本でツイッターが変な流行り方をしているのも、俳句の影響が多少あるんじゃないでしょうか。感情も思考も紙一重。そのときの想いを残してみんなに見せるって昔から日本人がやっていることなんですよねぇ。(ウェブの世界では、名誉毀損や身バレなどを防止すべく頭を回さなければならないって点は言うまでもないですね)

 

日記帳や手帳はつけないタイプなので、ツイッターがあってよかったなぁと感じる今日この頃。

 

記事引用

 現在進行形の出来事をブログで語る、語り部の負うリスクについて – ←ズイショ→

 いや、仰りたいことは分かるんだけど、ブログに「自分の考え中のことを書く」ってのは、そんなに難しくもないし、考え方によっては罪深くもないと思いますよ。

 確かに、奥行きのある現象を書き言葉や「記録」にしてしまうことには、色々な副作用があるのも事実です。まあ、それを言い出したら「体験をテクストに封じ込めてしまうとはなんぞや」みたいな問いまで後一歩ですが。ちなみに私は、その体験のテクストへの変換は、あまり悪いことだと思っていません。ただしなんでもかんでも手当たり次第テクストに変換してしまうこと、例えば子どもの運動会をビデオカメラ越しにしか眺めない・ワインをテイスティングチャートどおりにしか賞味しない、なんてのは幾らなんでも悪趣味だとは思います。尤も、これは価値判断の問題で、それが至上だという人がいたとしても、私には止める義理はありません。

 で、本題。

 「人目に触れる場所で自分の思考をまとめる」のも、その作用・副作用を承知したうえで使うぶんには、私は問題無いと思ってます。

 仰るように、人目に触れる場所で考えると、他人のまなざしとか、他人の価値基準が混入しがちです。承認欲求に飢えているような時には、そっちに文章が引っ張られることにもあります。また、トラックバック等を通して、違う考えや議論が紐づけられることを、嫌うこともあるかもしれません。

 でも、そのほうが考えが引き締まったり気を遣ったりするメリットもあると思うんですよ。

 自分だけで日記帳に書いたりしていると、そのあたりがスポイルされるというか、自分にだけ理解できればいいや的なメモになったりすることってありませんか?私の場合、そうなりやすいです。

 対して、ブログを書くとか、原稿を書くとかって場合は、「これを第三者が読んで、自分が感じているのとあまり変わらない読後感を持てるように考えをまとめなければならない」って要請が挟まってくるので、きちんと言語化しよう・他人にもわかる表現に翻訳しようと、あがくようになります。このあがき、この「できるだけ他人に伝えたい」って気持ちによって、言語化の水準がマシになることって結構あると思うんです。少なくとも、私はこれに随分助けられました。

 それに、自分の日記帳のなかで自分だけが理解出来る時の理解度と、他人にもある程度伝えられる水準の時の理解度って、違っていることも多いですし。他人に伝えようとしてみると、てんで理解していないと気付かされることもしばしばです。

 あと、(特に)はてなダイアリーの場合は、トラックバック機能がついているので、自分一人で議論や疑問を考えなくて済む、ってのもおいしいですね。はてなブックマークコメントやtwitterコメントも、頼りになる人のコメントは参考になります。

 だから、「自分一人だけで考えたくない時」「自分だけでは手に負えない時」「自分の考えを他人にも伝達可能な形式に転換したい時」には、ブログに書くってのは良い方法だと思います。せっかくネットをやってるんだから、他人の知恵を拝借したっていいじゃないですか。自分だけで正解を導かなければならないわけですらない。

 むろん、それがいつもベストってわけではなく、自分だけで考えたほうがノイズが入らなくて良い場合もあるし、考えを秘匿しておきたい時にもブログに書いたりしちゃあいけません。そういう領域は、実際、現在進行形の出来事をブログに書いたらまずいと思います。

 だから、自分だけの日記帳に書く行為と、ブログに曝して考えを日干しする行為を、巧く使い分けると、一層楽しくなるんじゃないのかな、と私は思います。

 

via: 考えをブログに書く行為と、自分だけの日記帳に書く行為を、使い分ければいいじゃない

 

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コメント

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  • コメント (1)
    • キジトラさん
    • 2015年 1月 21日

    まず大前提ですがブログとツイッターって全くの別物です。
    言ってみればブログって時代遅れ。
    なんたってWeb2.0の残骸ですから。
    比べてツイッターはまだまだ新しいメディつーかインフラつーかツールですね(笑)。

    ネットっていかにバカを釣るか?が命題だと思っています。
    バカを多く釣れたほうが覇権を握れる。当たり前か(笑)。

    そういう意味でいうと段々簡単になっていくんです。
    アタマを使わないでいい。アタマを使うようじゃバカは使わない。からね。
    ツイッターの次がLINEなんですけど、これもバカを釣る機能満載ですよ。
    スタンプなんて最たるもんでしょ?

    だから別個に考えなきゃ。
    頭使う度を比較すれば、ブログ>>>>ツイッター>>>ラインっていうね。

    そもそもブログってウェブログのことですから。
    ログなんす。ログなんかに大した意味はないですよ。
    途中経過そのものですから。

    ネットってね。分かってる人間からすれば当たり前のことが
    わからない奴は本当にわからないんだよね。
    だから考えなくていいんです。
    考えてブログやることも無意味だしツイッターも無意味。

    アタマ使わなくて反射神経使いましょう(笑)

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