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男女の制服交換で見えるものとは…? ジェンダーとセックス、性差を考える

高校生が男女の制服を取り替える…そんなちょっと不思議な方法でジェンダーについて考える取り組みをしている高校があるとのことです。朝日新聞Digitalが報じています。そもそもセックスとジェンダーの違いも曖昧な日本の感覚で、どのような価値を持っているのでしょうか。



 

「男らしさ」「女らしさ」を離れて自分や社会を見つめ直してみようと、山梨県富士吉田市の県立富士北稜高校で11日、有志生徒が男女で制服を交換して過ごす催しがあった。「セクスチェンジ・デー」と呼ぶ試みで、「sex(性)」と「exchange(交換)」の造語だ。全校の約4割に当たる299人(男子117人、女子182人)が参加した。

 この日の朝、ジャージー姿で登校した生徒は、それぞれサイズの合う異性の制服に着替え、授業を受けた。普段とは異なる視点に立つことで、自分や周囲の人への認識を考え直したり、「当たり前」だと思っていることをうのみにする危うさに気づいたりする機会にするという。

 昨秋、建築デザイン系を学ぶ生徒が取り組み、今年は対象を全校の有志に広げた。

 キュロットスカートをはいた実行委員の大神田弥夢(ひろむ)さん(3年)は「足が寒くて女子の苦労がわかる。足を広げられないし、女らしさって大変だ」と話した。(河合博司)

 

via: 高校生が男女で制服交換 「らしさ」見つめる試み 山梨:朝日新聞デジタル

 

セックスとジェンダー

さて、ここ数年ですっかりよく聞くようになった単語の一つに「ジェンダー」というものがあると思います。社会学なんかだとずいぶん昔から当たり前のように使われていた言葉かとは思いますが、まずはこの言葉の説明から始めましょう。

 

ジェンダーの説明のためには、まずセックスという言葉を説明するのが最も簡単でしょう。セックスとはすなわち、「肉体的性差」のことを指します。パスポートなんかでも性別の欄が「sex」という風に書かれていることからもわかります。遺伝子的に、肉体的に切り分けられた性別なわけですね。

 

それに対してジェンダーは、セックスとは違う「性差」を表現しています(日本では)。正確には、それぞれの性別によって求められる「役割」を表現していると言ってもいいでしょうか。それが意味するところは、ジェンダーとは「社会的に規定される性別である」ということです。

 

Wikipediaでちょっと調べてみると、どうやら日本では本来の語義とは違う方法で「ジェンダー」という言葉は用いられているようです。筆者もまさしくこの間違いを犯しているわけですが、この記事では日本における社会学的用法を説明することになりますね。それにしても定義問題、訳語の問題というのは難しいです。(昔はセックスとジェンダーが正反対の使われ方をしていた時期もあったとのこと。今では両者を兼ねたニュアンスを持つようです)

 

日本において「ジェンダー(gender)」は、「社会的文化的性差」と誤訳され、間違ったまま用いられる例がいまだに残る。シカゴ大学フェミニスト山口智美は『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』の中において(281ページ)以下のように語っている。

『「ジェンダー」定義をめぐる混乱についても、もともと、ジェンダーの定義が導入時に「社会的文化的性差」と誤訳されてしまった、という問題が大きいと思う。英語でいう「ジェンダー」は「性差」ではなく、「社会的・文化的な性のありよう」といった意味合いだ』。

医学の分野では「生物学的な性」として使われる「gender」は、社会科学の分野において時々「社会的・文化的な性のありよう」の意味で現在使われているが、日本におけるように「社会的文化的性差」と翻訳したり、「差別」と同義的使われ方をするのは明確な誤謬であり、今後の是正が必要である。

日本政策研究センターより、「gender」を「社会的・文化的に形成された性別」と定義することは誤りであるとの指摘がなされており[11]、また実際にこのように定義された英英辞典は無い。

 

via: ジェンダー – Wikipedia

 

服装を交換することで見えることとは…?

さて、ここで重要になってくるのが服装の交換が果たしてセックスあるいはジェンダーの相互理解につながるのかどうか、ということですね。記事を読む限り、「セクスチェンジ・デー」と呼ぶ試みで、「sex(性)」と「exchange(交換)」の造語だ。という感じですが、どうやらこの時点でセックスとジェンダーを間違えているような気がします。(日本の社会学的用法に基づくと)

 

また、記事の後半では「スカートだと足を広げられない」という感想が載せられています。筆者はできるならもっと他のコメントを採用するべきだっと断言します。もしあったらの話ですが。というのも、これは「女性性」を体験したことにはまるでならないからです。

 

一般にジェンダーにおける問題といえば各々の性に決定付けられたロールモデルに対する批判です。「男は男らしく、泣いてはいけない、外で金を稼いでこい」ですとか、「女は女らしく、家事が出来なくてはいけない、家のことをやれ」といったものですね。

 

もちろんみなさんが感じている通り、こういったステレオタイプに対する批判は年々高まっているように思います。が、そのような問題意識に結びつくイベントだったのかはこの記事からは不明です。これをきっかけに、なにかジェンダーに関する講演会かなにかでもしたのかな、と想像していますが。(していなかったとしたら片手落ちもいいところですね)

 

男尊女卑、女尊男卑

最近では、ジェンダーに関する不平等の是正に対して「女尊男卑」であるという反論もネット界隈では見かけることが多くあります。女性専用車両やレディースデーなどがよく槍玉に挙げられていますね。前に記事を書いたのでここでは詳しく論じませんが、筆者としてはレディースデーは「社会がそれをどう評価するか」に依存すると考えています。

 

 男女の制服交換で見えるものとは…? ジェンダーとセックス、性差を考える レディースデーって性差別? | キジトラ速報

 

また、最近では雇用問題についても男女差別がかなり強く問題視されており、女性管理職の数値目標なんかも出されましたがこれについても筆者はやや批判的です。方向性は悪くないと思うのですが、数値目標というのはあまり現実的ではありません。そもそも雇用における構造上の問題もあり、それについても前に記事を書きましたので参照しておきます。

 

 男女の制服交換で見えるものとは…? ジェンダーとセックス、性差を考える 女性は「構造的に」差別されている? 男女雇用機会均等の限界とアベノミクスの数字目標の怖さ | キジトラ速報

 

女尊男卑であるかどうか、を判断するための一つの指標を書いておくとしましょう。それは、「自分の頭を足で踏みつけて上にいる人たちを手で払うことは、優遇を求めた結果ではなく不平等を改善するためのものだ」ということです。

 

例えとして適切かはわかりませんが、黒人奴隷の解放にともなって白人の収入は多かれ少なかれ減少しました。経済的に打撃を受けた人も多いですし、社会構造そのものも変化しました。しかし、それを黒尊白卑とは言わないでしょう。

 

人が当たり前の権利を獲得することで「なにかを奪われた」と感じる人たちは、「搾取することによって得ていた不当な利益が損なわれた」だけです。本来持っていてよいものでなかったわけですね。

 

ここでは特定の政策になにかコメントをしたいわけではなくて、一つの判断基準を提示したということです。個人的には女性専用車両なんかは……賛成の立場は取れないですね。(真剣に女性専用車両について研究したことがないので断言は難しいですが)

 

まとめ

長々と書いてきましたあ、筆者が言いたかったこと、それは「制服の交換くらいでジェンダーの違いはわからない」ということです。もちろん学校ではこれを契機にジェンダーに関する講演会かなにかを開いたとは思いますが。

 

スカートがスースーするとか、足を開けないとか。なんとも価値のないコメントだな、と正直なところ思います。考えるべき、感じるべきことはそんなところにはありません。そこの誘導を高校側がやっていると思いたいですね。だとしたらもっといいコメントを選べよ、とも同時に思いますが。

 

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