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「死にたい…」気持ちに応える尊厳死をカトリック国家イタリアが合法化へ

人には、他人を害さない限りどんなことをしてもよいという自由がある。しかし、まだ多くの国では「自ら死ぬ」ことが合法的に許されていません。イタリアはその状況をガラリと覆したようです。



 【ローマ=佐藤友紀】国民の8割がカトリック教徒のイタリアで1月31日、尊厳死を認める法律が施行された。

 一人の男性の安楽死をきっかけに、「神以外の手で死をもたらす」としてタブー視されてきた行為への容認論が広がり、ローマ法王フランシスコの「鶴の一声」もあって議会が動いた。法律では「医師は延命治療を望まない患者の意思を尊重しなければならず、その際殺人罪などに問われない」となっている。

 法案は1980年代から議論されていたが、議員や支持者にカトリック信者が多く、欧州各国で法制化が広がる中、イタリアでは棚上げされていた。

 世論の変化をもたらしたのは、北部ミラノでDJとして活躍していたファビアーノ・アントニアーニ氏(享年40歳)が2017年2月に安楽死した事件だった。

via: あるDJの安楽死きっかけ…「尊厳死法」を施行 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

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尊厳死とは何か

尊厳死という言葉を聞いたことはあるでしょうか。尊厳を持った状態で死ぬこと、というのは日本でも介護業界で大きな問題になっています。すなわちアルツハイマー症候群や痴呆症によって糞便を垂れ流したり、夜間徘徊など老化に伴う種々の劣化に至る前に自ら死ぬことを指します。

 

今回のイタリアのニュースでは、それとは異なる文脈でこの尊厳死が議論になっていました。それは獅子が麻痺して生活を送れなくなったDJに端を欲します。これも同じく、自らが望むことの無い生を生きるくらいなば自ら覚悟を決めて自死するというのです。

 

これらはどちらも本質的には同じことを言っています。老化や四肢麻痺によって自らの望む生を失った(あるいは失うことがわかっている)人には、その人生を自ら幕を閉じることを許すべきではないかというものです。

 

 

尊厳死に賛成

私は尊厳死に強く賛成します。諸々本人の意思に反して殺される人が出て来るなど懸念もありつつ、それでも私は合法的に自らの命を終わらせる事のできる制度が合って良い、それどころかあるべきだとすら考えます。死ぬことは、決して恥でも無く迷惑なことでもありません。それは私達が生きていく中で選択できるオプションの一つです。

 

今だと自殺のためには高いところから飛び降りたり、クビを吊ったり、電車に飛び込んだり、練炭で死んだりしています。しかしこれらにはどれも苦痛を伴ったり確実性が低かったり、何よりあとに残った人たちにとって迷惑と言わざるを得ないようなものばかりです。

 

医療機関で痛みなく、眠るように死ぬことが出来るのならばその選択肢を取りたいという人は少なくないはずです。人には自由があります。それは他者を害さない限りにおいて、望むことが出来るという自由です。私はこの自由は自ら死ぬことにもまた適用されると思うのです。

 

生まれてきたとき、私達に意思や望みはありませんでした。だからこそ、終わらせるときには自らの意思を介在させてもよいのではないでしょうか。





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