2ch PC スマホ iPhone Android WindowsPhone ガラケー ガジェット ニュース 壁紙

同性婚市場の活性化!? ゼクシィなどで実例紹介も

ヨーロッパでの同性婚法制化への流れに対して、日本ではあまり法制化への流れがないように思われます。同性愛において結婚というのは非常に高いハードルであり、それと同じように社会にとっても受け入れるのに心理的抵抗が大きいものでもあります。そんな中日本で有名な結婚雑誌ゼクシィで同性婚についての特集が組まれたとYahooニュースが報じています。



法律で結婚が認められないからこそ、式だけでも挙げたい。そんな同性カップルを受け入れるホテルや式場が増えている。後押ししているのは同性婚を認める海外の流れだ。国内では、実生活で法律婚と同等の権利が保障されていない。式を挙げやすくなったのは、ささやかな一歩だ。

via: Yahoo!ニュース – 同性婚いらっしゃい 増える式場、ゼクシィも実例紹介 (朝日新聞デジタル)

 

同性婚の意義

さて、果たして同性婚というのは具体的にどういった制度のことを指すのでしょうか。現在の日本では迫害がまだまだ残っているとはいえ、若者を中心に「別に同性愛者でも構わないんじゃない、自分に関係のない世界なら」といった意識が出てきているのは確かでしょう。以前と比べると息苦しさは少しでも減っていると感じます。

 

そんな中、わざわざ法整備を求める動きがあるのは一体なぜなのでしょうか。公的な関係になることの意義を考えることは、逆に現行の結婚制度の意義を考えることにも似ているのかもしれません。多くの同性愛者のカップルが求める事は、「法的な保護」ならびに「社会的な承認」といわれています。

 

法的な保護とは

法的な保護、というのはなんでしょうか。異性愛者における結婚による様々な法的保護というのは、数え切れないほどにあります。それが社会に溶け込みすぎていて普段の生活で私たちが特別意識することはありません。

 

例えば、税金における優遇として「配偶者控除」があげられるでしょう。他にも入院時における「家族以外面会禁止」といった状況における権利や、遺産が発生した場合の「相続権」などがよく取り上げられるトピックでしょうか。どれも、普通に生きていたら「こんな時に困るんだ」と思いもしないことですが、こういった現実的な問題が同性愛者のカップルにおいては立ち上がってくるというわけです。

 

社会的な承認とは

これは法的な保護と比べたらかなりわかりやすいものでしょうが、字面の通り「社会において認められた関係である」ことを望む欲求ですね。法的な保護と比べるとより受け入れ側にとってハードルの高いものとして認識されることが多いでしょう。一種の「儀式」としての効用ですが、これは無意識的に行われる上記の保護よりもわかりやすく異性愛者にとっても重要なものと言えることから、結婚というシステムのより本質に近い機能のようにも思います。

 

PACSとは「Pacte civil de solidarit」(民事連帯契約/連帯市民協約/市民連帯契約)の総称で1999年フランス共和国にて設立されました。これは「同性または異性の成人2名による、共同生活を結ぶために締結される契約」(フランス民法第515-1条)のことを指しています。当時社会党に所属していたパトリック・ブローシュ国民議会議員を中心に活動が行われました。同性愛者間のエイズ流行が背景となり、死別した同性カップルの残された側には住居等に関する法定権利がない事態への対処策として検討され、同性愛者の生活を保護し、保証制度を制定するよう求めたことが始まりです。

PACSは同性・異性を問わず成人年齢に達した者同士が安定した共同生活を営めるよう、法的婚姻関係を結ぶカップルと同等の権利を認め公証するものです。PACSは同性結婚の代替措置と思われていますが、結婚より規制が緩く、同棲よりも法的権利等を享受できるので異性カップルにも浸透していきました。性別、国籍に関係なく契約を結ぶことができ、しかも法定結婚と比較すると手続きが簡単であり、時間もかからないという手軽な点もPACSがフランス国民に受け入れられた理由の一つのようです。

 

via: フランスの事実婚とは?(1/2)|事実婚 (PACSとは?)|事実婚のPACS-JAPON

 

上記の引用はフランスで採用されているPACSというシステムの説明です。このシステムの面白い点は同性愛にとどまらず、結婚(に近い関係性)のハードルを下げることを選んだ点で、実際異性愛者のカップルにおいても利用者が出ているようです。これは法的保護を目的としたものですが、「社会的承認」を獲得しうるポテンシャルを占めているのではないかと考えられます。(あるいは社会的承認としての結婚の価値が下がったとも考えられます。フランスの離婚率は50%近いため)

 

日本における今後の展開は

さて、日本では今後どのような方向性で動いていくのでしょうか。諸外国の動きを見ていると、「結婚」そのものに同性婚を取り込むというよりは、それに極めて近い「法的保護」可能な関係を公的に認めるという流れになっているようには思われます。(最近バチカンでのカトリック教義に関する会議において同性愛に対する姿勢は平行線のまま議論が決着しなかったようですが)

 

また、これについては「結婚」制度に取り込むよりも市民社会の反発も少ないことが予想されます。法的保護を与える必要があることが多いことは現実のケースを見れば一目瞭然ではあるものの、やはり既存の枠組みに入れるのは怖い/不安だ、といったぼんやりとした反発を回避することが出来るからです。

 

まとめ

個人的には、あるニュースにおけるキャスターのスピーチを見て頂きたいなと思います。簡単に内容を説明しますと、「同性婚を認めることによって生じると考えられる問題は、認めないことによる抑圧に苦しむ人たちの解放と比べられないほどに小さいものである」「愛を愛として認め、受け入れることに性別を基準にすることがどれほど無意味なことか」「愛の素晴らしさとはなにか」を熱い口調で語られています。

 

筆者も完全に同意見です。それを認めることで、一体どれほどの不利益を被るというのでしょうか。なんとなくの印象、感覚で人の権利を奪うことは許されません。きちんと考え、自らの意見を持とうと思って調べてみれば「同性婚反対」といった単純な答えは出てこないのではないでしょうか。ぜひその一歩目として以下に参照した記事を読んでいただきたいと思います。読む前と読んだ後で、あなたの考え方にほんの少しでも変化があることを確信します。

 

アメリカのニュースキャスター、オルバーマンなスピーチ

オルバーマン翻訳

Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast.

最後に、お伝えしていたとおり先週カリフォルニアで可決された提案8号のことについて特別コメントをします。同性カップルが結婚する権利を廃棄する、というものです。同性婚問題に関する均衡がこれで揺るがされました。全米で、です。

Some parameters, as preface. This isn’t about yelling, and this isn’t about politics, and this isn’t really just about Prop-8. And I don’t have a personal investment in this: I’m not gay, I had to strain to think of one member of even my very extended family who is, I have no personal stories of close friends or colleagues fighting the prejudice that still pervades their lives.

前置きとしてわたしの基準を言います。これはエールを送っているのでもなく、駆け引きをしようとしているのでもなく、そして本当は単に提案8号のことでもありません。わたしにはこの問題に関して個人的な思い入れもありません。わたしはゲイではないし、自分の家族親族の中にゲイがいるかと考えると、ずいぶんと範囲を広げても考え込んでしまうほどです。近しい友人や同僚たちの中に彼らの暮らしにいまも影を落とすこの偏見と闘っている者がいる、という私的なエピソードもありません。

And yet to me this vote is horrible. Horrible. Because this isn’t about yelling, and this isn’t about politics. This is about the human heart, and if that sounds corny, so be it.

しかし、そうではあっても、この投票はひどい。ひどすぎる。なぜならこれはエールでも駆け引きでもなく、人間の心の問題だからです。もしこの言い方が陳腐だと言うならば、そう、陳腐で結構。

If you voted for this Proposition or support those who did or the sentiment they expressed, I have some questions, because, truly, I do not understand. Why does this matter to you? What is it to you? In a time of impermanence and fly-by-night relationships, these people over here want the same chance at permanence and happiness that is your option. They don’t want to deny you yours. They don’t want to take anything away from you. They want what you want—a chance to be a little less alone in the world.

もしあなたがこのプロポジションに賛成票を投じたのなら、あるいは賛成した人を支持する、あるいはその人たちの表明する意見を支持するのなら、わたしはあなたに訊きたいことがある。なぜなら、ほんとうに、わたしには理解できないからです。どうしてこの問題があなたに関係あるんですか? これはあなたにとって何なんですか? 人と人との関係が長続きもせず一夜で終わってしまうような時代にあって、ここにいるこの人たちはただ、あなたたちが持っていると同じ永続性と幸福のチャンスを欲しいと思っているだけです。彼らはあなたに対し、あなたの関係を否定したいと思っているのじゃない。あなたたちからなにものかを奪い取りたいわけでもない。彼らはあなたの欲しいものと同じものを欲しいと思っているだけです。この世にあって、少しばかりでもさみしくなくいられるようなチャンスを、です。

Only now you are saying to them—no. You can’t have it on these terms. Maybe something similar. If they behave. If they don’t cause too much trouble. You’ll even give them all the same legal rights—even as you’re taking away the legal right, which they already had. A world around them, still anchored in love and marriage, and you are saying, no, you can’t marry. What if somebody passed a law that said you couldn’t marry?

それをあなたは彼らにこう言う──だめだ。そういう関係では結婚は許されない。ただ、行儀よくしているならば、きっと似たようなものなら。そんなに問題を起こさないなら、あるいは。そう、まったく同じ法的権利をあなたたちは彼らに与えようとさえするんでしょう。すでに彼らが持っていた法的権利を奪い取るのと引き換えに。彼らを取り巻く世界はいまも愛と結婚に重きを置くくせに、しかしあなたたちが言うのは、ダメだ、きみらは結婚できない。もしだれかがあなたは結婚できないと断じる法律を成立させたら、どういう気持ちですか?

I keep hearing this term “re-defining” marriage. If this country hadn’t re-defined marriage, black people still couldn’t marry white people. Sixteen states had laws on the books which made that illegal in 1967. 1967.

ずっと聞いているのは、結婚の「再定義」ということばです。もしこの国が結婚を再定義してこなかったなららば、黒人は白人といまでも結婚できていないはずです。1967年時点で、16の州がそれを違法とする成文法を持っていたんです、1967年に。

The parents of the President-Elect of the United States couldn’t have married in nearly one third of the states of the country their son grew up to lead. But it’s worse than that. If this country had not “re-defined” marriage, some black people still couldn’t marry black people. It is one of the most overlooked and cruelest parts of our sad story of slavery. Marriages were not legally recognized, if the people were slaves. Since slaves were property, they could not legally be husband and wife, or mother and child. Their marriage vows were different: not “Until Death, Do You Part,” but “Until Death or Distance, Do You Part.” Marriages among slaves were not legally recognized.

この合州国の次期大統領になる人の両親は、彼らの息子がいずれこの国の指導者になろうと成長しているそのときに、この国の3分の1近くの州では結婚できなかったのです。いや、もっとひどいことがある。もしこの国が結婚を「再定義」してこなかったなら、黒人のある人々は他の黒人ともいまも結婚できていなかった。それはほとんどの人々が見逃しがちな、われわれの悲しむべき奴隷制度の歴史の最も冷酷な部分の1つです。なぜなら奴隷は所有物だったから、彼らは法的には夫にも妻にもなれなかった。あるいは母にも子供にもなれなかった。彼らの結婚の誓いは違うものだったのです。「死が汝らを分かつまで」ではなく、「死が、あるいは売り渡される距離が、汝らを分かつまで」だった。奴隷間の結婚は法的には認められていなかったのですから。

You know, just like marriages today in California are not legally recognized, if the people are gay.

そう、ちょうど、カリフォルニアの結婚が今日、もしゲイならば、法的に認められなくなったのと同じです。

And uncountable in our history are the number of men and women, forced by society into marrying the opposite sex, in sham marriages, or marriages of convenience, or just marriages of not knowing, centuries of men and women who have lived their lives in shame and unhappiness, and who have, through a lie to themselves or others, broken countless other lives, of spouses and children, all because we said a man couldn’t marry another man, or a woman couldn’t marry another woman. The sanctity of marriage.

われわれの歴史の中で、世間に強いられて異性と結婚したり、偽装結婚や便宜上の結婚や、あるいは自分でもゲイだと気づかないままの結婚をしてきた男女は数知れません。何世紀にもわたって、恥と不幸にまみれて生き、自分自身と他人への嘘の中でほかの人の人生を、その夫や妻や子供たちの人生を傷つけてきた男女がいるのです。それもすべては、男性は他の男性と結婚できないがため、女性が他の女性と結婚できないがためなのです。結婚の神聖さのゆえなのです。

How many marriages like that have there been and how on earth do they increase the “sanctity” of marriage rather than render the term, meaningless?

いったいそんな結婚はこれまでいくつあったのでしょうか? それで、そんな結婚がいったいどれほど結婚の「神聖さ」を高めているというのでしょうか? むしろそれは「神聖さ」をかえって無意味なものにしているのではないのか?

What is this, to you? Nobody is asking you to embrace their expression of love. But don’t you, as human beings, have to embrace… that love? The world is barren enough.

これは、あなたにとって何なのですか? だれもあなたに彼らの愛情表現を信奉してくれとは言っていません。しかしその愛を、人間として、あなたは、祝福しなくてよいのですか? 世界はもうじゅうぶんに不毛なのに。

It is stacked against love, and against hope, and against those very few and precious emotions that enable us to go forward. Your marriage only stands a 50-50 chance of lasting, no matter how much you feel and how hard you work.

愛は追い込まれています。希望もまた。わたしたちを前進させてくれるあの貴重で数少ない感情が、劣勢にあるのです。あなたたちの結婚は50%の確率でしか続かない。どんなに思っていても、どんなにがんばっても。

And here are people overjoyed at the prospect of just that chance, and that work, just for the hope of having that feeling. With so much hate in the world, with so much meaningless division, and people pitted against people for no good reason, this is what your religion tells you to do? With your experience of life and this world and all its sadnesses, this is what your conscience tells you to do?

そうしてここに、その50%の見込みに、そのがんばりの可能性に、そしてその思いを持てることの希望に大喜びする人たちがいるのです。世界に蔓延する憎悪や無意味な分裂や正当な理由もなくいがみ合う人々を目にしながら、これがあなたの宗教があなたに命じた行為なのですか? これまでの人生やこの世界やそのすべての悲しみを知った上で、これがあなたの良心があなたに命じたことなのですか?

With your knowledge that life, with endless vigor, seems to tilt the playing field on which we all live, in favor of unhappiness and hate… this is what your heart tells you to do? You want to sanctify marriage? You want to honor your God and the universal love you believe he represents? Then Spread happiness—this tiny, symbolic, semantical grain of happiness—share it with all those who seek it. Quote me anything from your religious leader or book of choice telling you to stand against this. And then tell me how you can believe both that statement and another statement, another one which reads only “do unto others as you would have them do unto you.”

人生というものが、むしろ不幸や憎悪の方を味方して、私たちみんなの拠って生きる平等な機会を何度も何度も揺るがしがちだと知っているくせに、それでもこれが、あなたの心があなたにこうしろと言っていることなのですか? あなたは結婚を聖なるものにしたいのでしょう? あなたはあなたの神を崇め、その神が体現するとあなたの信じる普遍的な愛というものを栄光に包みたいのでしょう? それなら、幸せを広めなさい。このささやかで、象徴的で、意義のある、一粒の幸せを広めてください。そういう幸せを求めるすべての人たちと、それを共有してはどうですか。だれか、あなたの宗教的な師でもいい、然るべき本でもよい、そんな幸せに反対せよとあなたに命じているものがあるとしたらなんでもいい、それをわたしに教えてほしい。そうして、どうしてその教えと、もう1つの教えの、両方をあなたが同時に信じていられるのかを教えてください。「自分が為してほしきものを他人に為せ」という教えです。

You are asked now, by your country, and perhaps by your creator, to stand on one side or another. You are asked now to stand, not on a question of politics, not on a question of religion, not on a question of gay or straight. You are asked now to stand, on a question of love. All you need do is stand, and let the tiny ember of love meet its own fate.

あなたはいま、あなたの国によって、そしてたぶんあなたの創造主によって、どちらかの側に立つようにと言われています。あなたは、政治の問題ではなく、宗教の問題でもなく、ゲイとかストレートとかの問題でもなく、どちらかに立つように求められているのです。何に基づいて? 愛の問題によってです。行うべきことはただ立つこと。そうしてそのささやかな愛の燃えさしが自身の定めを全うすことができるようにしてやることです。

You don’t have to help it, you don’t have it applaud it, you don’t have to fight for it. Just don’t put it out. Just don’t extinguish it. Because while it may at first look like that love is between two people you don’t know and you don’t understand and maybe you don’t even want to know. It is, in fact, the ember of your love, for your fellow person just because this is the only world we have. And the other guy counts, too.

べつにそれを手助けする必要はありません。拍手を送る必要もない。そのためにあなたが戦う必要もない。あなたはただ、その火を消さないようにしてほしい。消す必要はないのです。最初はそれは、あなたの知らない2人の人間のあいだの愛のように見えるかもしれない。あなたの理解できない、さらにはきっと知りたくもない2人の人間の愛です。しかしそうすることはあなたの、仲間の人間に対する愛の残り火なのです。なぜなら、私たちにはこの世界しかないのですから。その中でほかの人がそれをこそ頼りにしているのですから。

This is the second time in ten days I find myself concluding by turning to, of all things, the closing plea for mercy by Clarence Darrow in a murder trial.

この10日間で、こともあろうにこのコーナーを、ある殺人犯裁判での弁護人クラレンス・ダローの、慈悲を求めた言葉で閉じるのは2度目です。

But what he said, fits what is really at the heart of this:

しかし彼の言ったことは、この問題の核心にじつにふさわしい。

“I was reading last night of the aspiration of the old Persian poet, Omar-Khayyam,” he told the judge. It appealed to me as the highest that I can vision. I wish it was in my heart, and I wish it was in the hearts of all: So I be written in the Book of Love; I do not care about that Book above. Erase my name, or write it as you will, So I be written in the Book of Love.”

彼は裁判官に向かってこう言っています。「わたしは昨晩、昔のペルシャの詩人オマル・ハイヤームの強い願いについて読んでいました」と。「それはわたしの想像しうる至高の希求としてわたしに訴えかけてきました。それがわたしの心の中にあったなら、そしてそれがすべての人々の心の中にもあったならと願わざるを得ません。彼はこう書いています;故に、我が名は愛の書物(the Book of Love)の中に刻みたまえ。あの天上の記録(Book above)のことは関知せず。我が名が消されようが、好きに書かれようが、ただしこの愛の書物の中にこそは、我が名を記したまえ」

 

via: 隔数日刊─Daily Bullshit: オルバーマン翻訳

 

動画はコチラ。

 

Appleのティム・クックがブルームバーグに寄せた寄稿

私はプロフェッショナルとしての人生を通じて、基本的なレベルのプライバシーを保とうと努力してきた。私のルーツはごく普通であり、自らが注目されるべき人だとは思わない。

 

Appleは世界で最も注目されている企業だ。私はAppleの製品と、皆が製品を使って行う素晴らしい事にフォーカスしていきたいと考えている。

 

それと同時に私はマーティン・ルーサー・キング牧師の「人生で最も大事な事は自分が他人のために何をしているかである」という言葉を信じている。この言葉を自分に問い掛けた時、プライバシーを保ちたいという私の願いが、もっと大事な何かを妨げていることに気が付いた。それが今回寄稿することのきっかけとなった。

 

以前から私は多くの人に自分の性的嗜好を打ち明けてきた。Appleの同僚は皆、私がゲイであることを知っているが、彼らの私に対する態度は変わっていない。

 

私は運が良かったのだ。この会社の人間は皆クリエイティヴィティとイノベーションを愛し、人間の多様性を受け入れることでそれらを開花できると知っている。しかし、皆がそのような幸運に恵まれるわけではない。

 

私は自らの性的嗜好を否定したことはないが、公にしたこともなかった。はっきり言っておこう。私は自分がゲイであることを誇りに思っている。神が私に下さった最高の賜物だと思っている。

 

ゲイであることで私はマイノリティに属する事がどういうものなのか理解できた。他のマイノリティの方達が挑んでいる困難を見ることができた。これにより私は他人への共感力が高まり、より豊かな人生を歩むことができた。

 

疲れるときもあった、居心地が悪いこともあった。しかし、私が私であること、自分自身の道を歩むこと、逆境や偏見に立ち向かうことへの自信が身についた。面の皮がサイのように厚くもなった。それはAppleのCEOとしては都合の良いものだ。

 

via: ティム・クックがゲイを公言「私はゲイであることを誇りに思っている」 : iPhoneちゃんねる

 

関連記事

 

949a13375a36499a6cd5cf7b3e4c2500 同性婚市場の活性化!? ゼクシィなどで実例紹介も




関連記事

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

オススメ記事

副管理人募集

文章書いて金稼ぎたい人募集。ネタはガジェット、政治、経済、法律、貧困、歴史、教育、社会問題、音楽、文学など。ノルマは特に無いので気が向いた時だけ書いてくれればOK。希望者はメールフォームから問い合わせてください。条件を聞くだけでも構いませんので気軽にどうぞ。

コメント

  • トラックバックは利用できません。
  • コメント (1)
    • キジトラさん
    • 2014年 11月 06日

    偽装結婚でスパイ入れやすくなったな

広告

おすすめサイト:Freemake YouTube ダウンロードソフト

 



画像RSS





カテゴリー

ブログパーツ

アクセスランキング
ページ上部へ戻る