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多様性には、常に排除された多様性があることを思うコロンビアのファッションショー

多様性という言葉に違和感を持っている人も少なくないだろう。それが結局何を意味しているかもわからないし、それが価値を持つのかもわからない。そして何より、その中に含まれるものがなんなのかよくわからないからだ。



【12月1日 AFP】コロンビアのカリ(Cali)市内で29日、「ウォークウェイ インクルージョン ファッションショー(the Walkway Inclusion fashion show)」が開催された。

 ショーには、身体に障害を持つ人や、LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス)コミュニティーの人、アルビノ(先天性色素欠乏症)の人たちがモデルとして登場し、ファッションが多様性に富むすべての人びとのためのものであることを訴えた。(c)AFP

via: 多様性を尊重、南米コロンビアでファッションショー 写真11枚 国際ニュース:AFPBB News

images 多様性には、常に排除された多様性があることを思うコロンビアのファッションショー

 

多様性って誰のことだろう

コロンビアで素晴らしいショーがあったようです。LGBTIと言われる、セクシャルマイノリティの人たちはもちろん、アルビノのようないわゆる「普通でない人」が包摂されたショー。美しいものが標準化される時代だからこそ、その多様性を認めていこうというコンセプチュアルなファッションショーでとても魅力的なものになっています。

 

でも、そこには老人はいなかったようです。小さい子どももいなかったようです。これが言いがかりのように聞こえるのは十分理解した上で、私たちは一体何を多様性という言葉で表現しようとしているのでしょうか。多様性というとあらゆる要素を受け入れたものでなければならないように思いますが、実際にはそういう人たちはこのファッションショーでは除外されていたようです。

 

つまり、特別な少数派だけがマイノリティとして尊重され、そして多様性の中に含まれる。でもそこにはロリコンの人もいなければ死体愛好者もいない、それどころから彼らは往々にして犯罪者にすらなりえる-しかしLGBTは未だ多くの国で罪とされる属性だ-という排除が働いている。じゃあ、多様性って一体誰のためのものなんだろう。

 

多様性のリアリズム

私はいままで多様性について様々な場所で記事を書いてきた時にこのような反応を受けることが少なくありませんでした。なぜこの少数派は認められて、他の少数派は認められないのかと。全てを受け止めることが出来ないなら多様性という看板にどんな意味があるのかということです。非常にわかりやすい主張ですが、しかし現実的なものではありません。

 

結局のところ多様性も一つのテーマに過ぎません。一つの社会の切り方でしかありません。多様性の中には性別もあれば宗教もあれば目の色もあれば服装もあればセクシャリティだって年齢だってあります。今回のファッションショーもまた、その全てを受け入れることは出来ません。なぜなら、そこには物理的な成約が常にあるからです。

 

私たちは結局、限られたリソースの中で活動することしかできません。会場だって企画だって無限にあるのなら全ての多様性を受け入れる事はできるかもしれないけれど、実際には出来ない。じゃあどうしたらいいか? それはそういう人たちが自ら多様性をテーマに掲げて他のところでやるしかないのです。ただそれだけのことです。

 

今回のファッションショーもおそらく内部の企画者にLGBTフレンドリーな人間がいたのでしょう。それが全てです。多様性の本質は、ただ自分が関心を持っている少数派の人たちを包み込むというものでしかありません。そしてそれが人間の限界であり美徳なのだと思います。





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