2ch PC スマホ iPhone Android WindowsPhone ガラケー ガジェット ニュース 壁紙

公務員が護憲を支持しないのは憲法遵守義務違反? 

集団的自衛権行使の解釈変更は法治主義の否定であって人治主義

思想家・内田樹(うちだたつる)氏が、なかなかブッ飛んだ意見を書いていたのでちょっと取り上げます。

 

内田氏の記事の主旨は、安倍政権の集団的自衛権行使の解釈変更は法治主義の否定であって人治主義だ、ということなのですが…それを主張する過程で、兵庫県での憲法記念日講演会についてのエピソードを紹介・愚痴っています。

 

これまで講演会の後援をしてくれていた神戸市・神戸市教育委員会が、「昨今の社会情勢にかんがみて、改憲・護憲の政治的主張をするような憲法集会は政治的中立性を損なう可能性がある」という理由で後援を断った。 内田樹氏は、このようなスタンスは「公務員の憲法遵守義務」の事実上の否定だ、と主張して怒り狂っているようです。





護憲と憲法遵守義務は別

まず確認しておきたいことは、自治体には憲法集会の後援をしなければならないという義務は存在しないこと(そんな義務あるわけがない)。逆に特定の思想に基づいた集会を後援してしまうと、公務員・自治体の政治的中立性を損なってしまいかねないということ。

 

内田氏は、護憲を支持しない・安倍政権の機嫌をうかがうような態度は憲法遵守義務違反だ、と主張したいようです。

 

護憲(=憲法改正反対)と憲法遵守義務とはまったく別のものです。憲法自身が憲法改正手続を定めている以上、憲法改正を主張したとしても憲法遵守義務違反とはなりません。両者は違うものだと分かった上で詭弁を弄してミスリードさせようとしているようにしか思えない…(実際そうなんでしょう)。

 

政府憲法解釈の変更について

さて、集団的自衛権行使を認める旨の「政府憲法解釈」の変更について。 内田氏は政府・行政の解釈をまったく認めないかのような発言をしています。条文の文理解釈(文字通りの解釈)だけではすべてのものごとに対応することはできませんから、ある程度の解釈は認められます。問題は、解釈の範囲内と認められるかどうか。

 

わたしは、そもそも個別的自衛権に限って認められるという政府解釈をした時点で無理があったと考えています。これまでの歴代政権がそのような解釈を維持していなかったなら、現行憲法のままでも集団的自衛権行使は可能だったのではないかと思っています。ただ、集団的自衛権は認められないという立場をずっと貫いてきた歴史がある以上、それを変えるのならそれなりの理由が必要です。もっとスッキリさせるためには、9条を改正するってのが(論理的には)一番問題のない方法でしょう。

 

9条改正を主張せずに憲法解釈の変更のみで対応しようとしている安倍政権。これは護憲なのか改憲なのか…わたしの立場から見るとある意味護憲なんだよなぁ…w内田氏のような左翼からすると改憲・法治主義の否定って映る。なかなか興味深い論点だと思います。

 

記事引用

ブロゴス:法治から人治へ から引用

 

先日兵庫県のある団体から憲法記念日の講演依頼があった。護憲の立場から安倍政権の進めている改憲運動を論じて欲しいという要請だった。むろん引き受けた。

 

主催団体はこれまで二度援集会を後援してくれた神戸市と神戸市教育委員会に今回も後援依頼をした。だが、後援は断られた。

 

後援拒否の理由は「昨今の社会情勢を鑑み、『改憲』『護憲』の政治的主張があり、憲法集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」ということであった。

 

この発言はたいへんに重い。

 

たぶん発令者は気づいていないだろうが、たいへんに重い。

 

というのは、「改憲」「護憲」についての政治的主張をなすのはどれほど大規模な政治勢力を率いていても「私人」であるが、行政はどれほど小規模な組織であっても「公人」としてふるまうことを義務づけられているからである。

 

この発言は「公務員の憲法遵守義務」を事実上否定した。

 

その点で憲政史上大きな意味をもっている。

 

市長も教育委員も特別職地方公務員である。

 

憲法99条は公務員が「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めている。

 

30年前私が東京都の公務員に採用されたときにも「憲法と法律を遵守します」という誓約書に署名捺印した。当然、神戸市長も教育委員たちもその誓約をなした上で辞令の交付を受けたはずである。にもかかわらず、彼らは彼ら自身の義務であり、かつ公的に誓約したはずの「憲法を尊重し擁護する義務」を「政治的中立性を損なう」ふるまいだと判定した。

 

改憲派である総理大臣が高い内閣支持率を誇っている。そうである以上、護憲論は今のところ「反政府的」な理説である。お上に楯突く行為を行政が後援すれば政府から「お叱り」を受けるのではないか。

 

そう忖度した役人が市役所内にいたのだろう。

 

立憲主義の政体においては、憲法は統治権力の正当性の唯一の法的根拠であり、いかなる公的行為も憲法に違背することは許されない。しかるに、神戸市は「時の権力者が憲法に対して持つ私見」に基づいて、公務員の憲法遵守義務は解除され得るという前例を残した。

 

繰り返し言うが、公務員たちが私人としてのどのような憲法観・法律観を抱いているか、個々の条文についてその適否をどう判断しているかはまさに憲法19条が保障するところの思想良心の自由に属する。しかし、彼らにしてもひとたび公人としてふるまう場合は「憲法を尊重し擁護する義務」を免ぜられることはない。

 

憲法は私人から見れば一個の法的擬制に過ぎない。だが、公務員にとってはその職務の根本規範である。

 

私人と公人の区別がわからない人が公務を執行する国を「法治国家」と呼んでよいのだろうか。

 

一昨日の新聞では、高知の土佐電鉄が護憲を訴える車体広告の掲載を拒否したという記事が出ていた。

 

ある市民団体が毎年憲法記念日にあわせて「守ろう9条」などの護憲メッセージを車体広告に掲げた「平和憲法号」と名づけられた路面電車を走らせてきたが、今年は電鉄会社に広告の掲載を拒絶された。

 

数名の市民から「意見広告ではないか」という抗議が寄せられたためだという。

 

電鉄側は「世論が変われば意見広告ととられることもあり、政治的な問題になってしまったので運行は中止する」と説明した。

 

ここでもまた「憲法を尊重し擁護しよう」という主張は「私人の政治的私見」に過ぎず、公共性を持たないという見解が示されている。

 

電鉄会社は私企業であるから、公務員よりもある意味正直である。

 

彼らははっきりと「世論が変わった」のかどうかが法律にどういう規定があるかよりも重要であると考えたのである。

 

憲法98条にはこうある。

 

「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部はその効力を有しない」

 

この会社は「憲法は国の最高法規である」がゆえにそれを遵守することが望ましいという市民団体の主張を「世論になじまない」という理由で退けた。

 

法律よりも世論の方が大事だ、というのは民間企業にとってはある種の「本音」なのかも知れない。

 

そもそも私企業の場合、経営者が改憲派であり、その私見を「護憲広告の掲載を拒否」というかたちで表明しても、公務員とは違って「憲法遵守義務」に違背しているわけではない。

 

憲法にそう書いてある。

 

しかし、官民挙げての憲法軽視は重大な「潮目の変化」の徴候である。

 

これは日本の統治原理が「法治」から「人治」に変わりつつあることを示しているからである。

 

特定秘密保護法によって、憲法21条、「表現の自由と集会・結社の自由」については事実上空文化した。絶望的に煩瑣で意味不明な条文によって(一度読んでみるといい)国民の権利は大幅に縮減された。

 

その一方で、今進められている解釈改憲は法律を「どう解釈するのも政府の自由」という政府への気前のよい権限委譲をめざしている。

 

つまり、国民の権利は法律によってがんじがらめに制約される一方で、政府の支配力は法律を弾力的に解釈し運用する権利を自らに与えることによってひたすら肥大化している。

 

政府が法律条文や判例とかかわりなく、そのつどの自己都合で憲法や法律の解釈を変え、その適否については「世論の支持」があるかどうかで最終的に判断されるというルールのことを「人治」と呼ぶ。

 

世論がどう言おうと、権力者がどう言おうと「法律で決まっていることはまげられない。まげたければ法律を変えなさい」という頑なさが法治すなわち立憲主義の骨法である。「法律が何を定めているのかはそのつどの政府が適宜解釈する。いやなら次の選挙で落とせばいい」というのは法治の否定である。

 

法律は世論や選挙の得票率とはかかわりなく継続的でかつ一意的なものでなければならない。そのつど「私が『民意』を代表している」と自称する人間の恣意によって朝令暮改ころころと法律解釈が変わるような統治形態のことを「人治」と言うのである。

 

集団的自衛権行使について、それを政府解釈に一任させようとする流れにおいて、安倍内閣はあらわに反立憲主義的であり(彼が大嫌いな)中国と北朝鮮の統治スタイルに日ごと酷似してきていることに安倍支持層の人々がまったく気づいていないように見えるのが私にはまことに不思議でならない。

 

神戸新聞NEXT:内田樹氏招いた憲法集会後援承認せず 神戸市 から引用

 

5月3日の憲法記念日に神戸市内で開かれる「憲法集会」(神戸憲法集会実行委員会主催)について、神戸市と同市教育委員会が実行委からの後援依頼を承認しなかったことが分かった。「政治的中立性を損なう恐れがある」というのが理由だが、同実行委が過去に開いた憲法集会は後援していた。安倍晋三首相が解釈改憲による集団的自衛権行使容認に強い意欲を示すなど、憲法をめぐる議論が過熱する中、立ち位置に戸惑う自治体の姿が垣間見える。(木村信行)

 

 同集会は約50年間続いており、実行委は神戸市内の労働団体や護憲グループで構成。今年は同市中央区の神戸芸術センターで開催予定で、護憲の立場を明確にしている内田樹(たつる)・神戸女学院大名誉教授の講演などがある。

 

 実行委はこれまで、会場の大きさや講演者の知名度に応じて、同市や同市教委などに後援を依頼するかどうかを決定。近年では1998、2003年に依頼し、ともに後援名義使用が許可された。

 

 今回は昨年12月13日に申請。回答がないため、実行委が数回催促したところ、2月4日付で久元喜造市長名、同5日付で雪村新之助市教育長名の文書が届いた。いずれも「憲法に関しては『護憲』『改憲』それぞれ政治的主張があり、憲法に関する集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」と明記。市教委の回答には「昨今の社会情勢を鑑み」とも記されていた。

 

 同市の内部規定は、後援名義の使用を承認する要件を「政治的中立であり、宗教的活動でないこと」としている。同市行財政局庶務課は従来との整合性が問われる今回の対応について「憲法について多様な意見がある中で後援するのは差し控えた」と説明する。

 

 同様の憲法集会に対する後援について、大阪市や京都市は「明確な基準はなく、ケース・バイ・ケースで判断する」としている。

 

【上脇博之・神戸学院大大学院教授(憲法学)の話】

 

 自治体には本来、憲法尊重擁護義務がある。後援を認めたときと今回で神戸市の判断は明らかに変化しており、整合性について説明が必要だ。もし最近の政治動向に配慮したのなら、神戸市が政治判断をしたことになり、地方自治の放棄ともいえる行為だ。

 

関連記事

 

88649d59f24604276dcd99c7e3e1e1e4 公務員が護憲を支持しないのは憲法遵守義務違反? 




関連記事

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

オススメ記事

副管理人募集

文章書いて金稼ぎたい人募集。ネタはガジェット、政治、経済、法律、貧困、歴史、教育、社会問題、音楽、文学など。ノルマは特に無いので気が向いた時だけ書いてくれればOK。希望者はメールフォームから問い合わせてください。条件を聞くだけでも構いませんので気軽にどうぞ。

コメント

  • トラックバックは利用できません。
  • コメント (0)
  1. この記事へのコメントはありません。

広告

おすすめサイト:Freemake YouTube ダウンロードソフト

 



画像RSS





カテゴリー

ブログパーツ

アクセスランキング
ページ上部へ戻る