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どうして人を殺してはいけないのか? 
2014/08/13 22:02  コメント (29)
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  • 人を殺していけない理由

    はてなブロガー・齊藤貴義氏が、「人を殺していけない理由は誰も説明することができない」といった趣旨の記事を書いていました。本当に人を殺していけない理由を説明することができないのか…?ちょっと論考してみます。

     

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問は、1997年・酒鬼薔薇聖斗の事件が起きた年の「筑紫哲也のニュース23」で茶髪の高校生が発言したもの。斎藤氏曰く、その番組中には誰も「殺してはいけない理由」をこたえることができなかったそうです。



    ならぬものはならぬ

    個人的には、八重の桜のような「ならぬものはならぬ」の精神でいいだろって思っているんだけど、それだけじゃ解答になっていないってツッコまれるんだろうなぁ…

     

    道徳とかマナー・エチケットとかって、最終的には人がどのように感じるのかで決まるものじゃないかと思っています。人々の共通認識がそうなっているから…って説明が個人的には一番しっくりくる。

     

    戦争なら、人々が「敵を倒す」と認識しているから、人を殺してもいい(そもそも戦争での人殺しは「殺人」ではない)。死刑も、日本では「重罪を起こしたものは死んでもいい」と思っている(であろう)から、許容されているんだろうし。人々の中に、そういう感情があるから、ってのが道徳の答えなんだろう。

     

    刑法学の話

    ちなみに、刑法学(刑法総論)の世界では、どうして違法なのかって部分に関して、行為無価値論と結果無価値論という対立が存在しています。行為が悪いのか結果が悪いのかっていう終わらない議論…興味がある方は、刑法総論のテキストでも眺めてみてください。

     

    佐世保の事件で、「命の大切さ教育」の在り方なんかが議論されているけど、命の大切さを教えるためには、「なぜ人を殺してはいけないのか」って疑問に正面から向き合うことが必要なんだろうなぁ。

     

    殺してはいけない理由より殺させない教育を

    「人々の共通認識(社会的道徳的な規範)」っていうわたしの説明だと、中二病をこじらせた反抗期的な人たちには逆効果でしかないってところが難しいところ。

     

    「人を殺してはならない理由≠人を殺させないための教育」ってことなんでしょう。

     

    人を殺してはならない理由を考えるよりも、人を殺させないためにどのように教育・指導していくべきかって議論の方が議論の実益がある気がするなぁ。原爆教育・平和教育の延長だけでは、人殺しをするような生徒にアプローチすることはできないんだろうなって素人ながらに感じます。

     

    記事引用

    その年の夏にTBSの「筑紫哲也のニュース23」で「ぼくたちの戦争」という特集が放映された。スタジオに東京と神戸の高校生達を集めて、戦争の話題や今の「自分達の戦争」について生放送で語り合うという趣旨の特集だった。私は福島に住んでいたけど、高校生を募集する案内をみて「出演したいです」と番組に手紙を送った。番組から実家に電話があり、私の出演が認められた。福島から東京への交通費は番組が出してくれた。

    20140728212626 どうして人を殺してはいけないのか? 

    (「筑紫哲也のニュース23」に出演した私)

    この番組は社会を揺るがす騒動になった。生放送中に茶髪の高校生が「なぜ人を殺してはいけないのか分からない」と発言したのだ。その場にいた筑紫哲也も灰谷健次郎も柳美里もなぜ人を殺してはいけないのか説明できなかった。スタジオの議論は一気になぜ人を殺してはいけないのか一色になった。番組終了後、「なぜ人を殺してはいけないのか」を哲学者が解説した関連本も数冊発行された。でも哲学者も著名人も作家も誰も「人を殺すことが何故いけないことなのか?」という疑問にストレートに答えることが出来ていなかったように思えた。

    20140728214919 どうして人を殺してはいけないのか? 

    戦争があれば人殺しも合法となる。我が国の最高刑は死刑なので、司法制度も人を殺すことを許容している。人を殺してはいけない理由は共同体の歴史文化的なものだろうけれど、それが社会通念として成立していればまだ人々のまとまりを維持できるが、その通念が神話であることが明らかになったならば、人を殺してはいけない理由を説く根拠は存在しない。家族が悲しむから?遺族が憎んでいるという理由で死刑も許容する社会が、人間の生命の尊厳を説いても説得力がないのだ。死刑廃止国でも戦争になれば人を殺す。人の生命の尊厳ってその程度のものなのだ。

    20140728220319 どうして人を殺してはいけないのか? 

    (『漂流教室』)

    快楽殺人や興味本位の殺人、憎悪での殺人、「なぜそんな理由で殺人を」と思う人は多いが、割とくだらない理由で人は人を殺すことは歴史が証明している。愛するがゆえにその人を殺して食べる人もいるし、様々な共同体で生贄がかつて存在した。「人を殺してはいけない」ことに明確な根拠なんて存在しない。

    はてなー的にも、人を殺してはいけない明確な理由はないっていう共通理解だと思うけど、どうだろうか?

    そういう怪しい根拠と、脆い土台の上に現代社会が構築されていることに、人々も気づくべきだろう。

     

    via: はてな村定点観測所

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    カテゴリー 社会 憲法・法律 なか

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    コメント一覧
    1. キジトラさん
      2014年8月13日22:42  ID: MjU4MjU1N

      殺されたくない人が大多数だから人を殺すのは禁止
      以上。

    2. 名無し
      2014年8月13日23:14  ID: Mjc2NjAwM

      哲学もくそもない。他人を殺める事は許されない。法のもとに死刑等で殺すのは仕方のない事。なので戦争も許されない。利己の為に他人の人生を終わらせるのは理由なくあかんやろ。

    3. キジトラさん
      2014年8月13日23:43  ID: MTMxMTU5O

      人を殺しちゃいけない理由は根本的には差別をしちゃいけない理由と同じ。
      つまりはそれをする自由を一度認めてしまえば、お互いがお互いを排除する(殺人と差別の間にはかなりの逸脱の程度の違いはあるが)ことが正当化され、社会の秩序(この場合は規範というよりは相互性の問題)が保てなくなるということ。
      要するに社会的動物であるところのヒトの構成要件たる、社会性を根本的に否定する行為であるからこそ許されない。

    4. キジトラさん
      2014年8月14日0:20  ID: NDk1MDM1O

      なぜなぜでいったら最後は言葉遊び

    5. 名無し
      2014年8月14日1:42  ID: MjUwNzAzM

      人を殺してはいけない理由は、殺せば相手の現在の生命だけでなく過去も未来も奪うことになり、更にはその人を大事に思う人たちの未来も奪うから。
      自分はそう思って生きてきたけど、これじゃ不十分だろうね。「じゃあなぜ他人から奪っちゃいけないの?」っていう素朴な疑問が想定されるから。「確かに自分がされたら嫌だけど、自分がされたら嫌なことをなんで他人にしちゃいけないの?」って。
      この世に誕生した命っていうのはようやく日の目を見た種子みたいなもんで、そこには無限の可能性や分岐が含まれている、とても尊いものなんだ、だから故意に潰されていいわけがないって言っても、多分答えになってないんだろうな。難しいわ。
      そう考えると、学校の道徳の「命の授業」って、一教師(というか一人の大人)にはあまりに負担が大きいというか、役者不足だと思うよ。

    6. キジトラさん
      2014年8月14日2:05  ID: MTM3MDQ3O

      ※3
      人を殺すことを認めても、社会の秩序が保てなくなるとは限らないのではないか?
      殺すことが認められても、アダム・スミスのいうような「同感」がはたらいて、秩序が保たれるかもしれないし。
      あと差別が認められていても社会の秩序は成り立つよ。むしろ有史以来で見れば差別が認められていた時代の方が圧倒的に長いのではないかな。貴族や平民とかの身分差別はどこにでもあったし。
      また、仮に殺人が認められることで社会性を捨てることになり、人間が社会的動物でなくなってしまう、つまりヒトが単なる動物になったとしても何が問題あるというのだろうか。

      結局は、※1のいうように、殺されたくない人が大多数であるから殺すのが禁止されている、つまり自分が殺されないように殺すことを禁じる決まりに同意し遵守しているだけだろう。
      人間、あるいは生物の本能としての生きたいという感情が重要なんだと思う。

    7. 名無し
      2014年8月14日2:07  ID: MTM3MDQ3O

      ※3
      人を殺すことを認めても、社会の秩序が保てなくなるとは限らないのではないか?
      殺すことが認められても、アダム・スミスのいうような「同感」がはたらいて、秩序が保たれるかもしれないし。
      あと差別が認められていても社会の秩序は成り立つよ。むしろ有史以来で見れば差別が認められていた時代の方が圧倒的に長いのではないかな。貴族や平民とかの身分差別はどこにでもあったし。
      また、仮に殺人が認められることで社会性を捨てることになり、人間が社会的動物でなくなってしまう、つまりヒトが単なる動物になったとしても何が問題あるというのだろうか。

      結局は、※1のいうように、殺されたくない人が大多数であるから殺すのが禁止されている、つまり自分が殺されないように殺すことを禁じる決まりに同意し遵守しているだけだろう。
      人間、あるいは生物の本能としての生きたいという感情が重要なんだと思う。

    8. キジトラさん
      2014年8月14日2:22  ID: NDI5Nzc2O

      養老先生が直せないからと言っていただろ
      直せないから尊いのだよ

    9. 名無し
      2014年8月14日2:25  ID: MTU3MzA4O

      遠回しな死刑反対論か…
      付き合うだけ時間の無駄だな。

    10. キジトラさん
      2014年8月14日4:09  ID: NTE1NDI0O

      そりゃ人には家族や友人、下手したら会社の部下上司までも繋がりがあるから
      やったやられたで負の連鎖が起きるから。
      個人同士ならまだ優しいがそれが段々家族同士、町同士に大きく発展したらどうだろう。
      しかも関係の無い人まで犠牲になったら関係の無いつながりまで巻き込んで大きくなってしまう。
      それが行き着く先が戦争だよ、しかもルールも何も無いからワクチンすらない生物兵器使って
      拡散して人類滅亡の危険まである。
      人間は力が強い者と頭が賢いものが協力して発展してきたんだからそれが無くなったら
      発展しなくなるか発展がものすごく遅くなる。
      司法制度の死刑ってのは罪を償わせる事ができないので仕方なく死刑にしてるだけ。
      罪を償わせる方法が出てくれば死刑はなくなるよ。

    11. キジトラさん
      2014年8月14日4:34  ID: MjUwNTMzN

      感情論抜きにしたら、「割に合わないから」
      法律がある以上、人を殺せば罰せられる
      人一人殺して何年何十年と刑務所で過ごさなくてはいけない
      もし捕まらなくても、ずっと息を潜めたまま暮らさなくてはならない
      じゃあ法律がなければいいのかというと、そうでもない
      人を際限なく殺していけば減る一方だ
      殺す方が産むより早いから
      人が減れば労働力も減る
      働くものがいなければ、生産も流通もない
      発展もしないし、文明なんてものは一生造られない

      これは極論だけど、

    12. キジトラさん
      2014年8月14日6:32  ID: NDc4MDk2M

      何をするのも自由だが、
      他人の自由を侵害しないという制限と、
      自由な行為の結果に関する責任が伴う。
      他人を殺すことは他人の自由を侵害することになり、
      一個人がその結果に関して責任を追うことが出来ない。
      従って、個人が個人を殺すことは許されない。
      戦争や刑罰での殺人が許されることも上記で説明できる。

    13. キジトラさん
      2014年8月14日7:42  ID: NTE1ODgwN

      自分も人。
      これが答え。

    14. キジトラさん
      2014年8月14日8:58  ID: MjUwNjgxO

      日本が治安いい理由はこれでしょ、割に合わないから
      決まりだからで割り切ってるから日本は治安いいんだわ

    15. キジトラさん
      2014年8月14日9:06  ID: Mjk4Mjg3O

      なぜ人を殺してはいけないのかを理解してないやつは人間として生きていくための知能にまで達せなかった動物に等しいよ。
      動物の世界では殺しあっていいからご自由に

    16. キジトラさん
      2014年8月14日10:07  ID: MjgzMTI5N

      「あなたは殺されてもいいですか?」って聞けば?
      「いやだ」って答えれば、「それが答えですよ」でいいのでは?
      人は生まれてきたからには生きていたいものだ。
      それを他者が勝手に終わらせることが誰にでも可能だったら
      誰もが不安で安心して生きられない。
      いつも誰かを疑ってビクビクしながら生きていくことになる。
      または、自分が殺されないために先に相手を害するようになる。
      まさに修羅地獄。まさに戦場。
      だから、「人を殺していい」という認識は否定され続けなければならない。

    17. キジトラさん
      2014年8月14日10:59  ID: Mjc5MzMzO

      殺してはいけないというフィクション・相互保証を前提になりたっている社会だからじゃね
      社会インフラを捨て孤独な原人にもどる覚悟があるならどうぞ殺しあそばせ

    18. キジトラさん
      2014年8月14日11:30  ID: Mjk4MTYxN

      仮に殺していいってなったら殺るのかよ。
      そんなもんに理由なんていらんわ。でも国同士は国益で簡単に人を殺す。
      俺は殺しなんて嫌だがね。

    19. キジトラさん
      2014年8月14日12:44  ID: Mjg3MDE1M

      じゃあお前を殺しても文句無いんだな?ハハッ死人は文句言えないかぁ

      パァァァァァアアン!ドサッ

    20. キジトラさん
      2014年8月14日20:03  ID: NDk1NjE2M

      国が許可してないから
      国が推進するなら多くの人を殺したら英雄です

    21. キジトラさん
      2014年9月23日22:20  ID: NDUxNzUxN

      最小単位の集団生活を成り立たせる

    22. キジトラさん
      2014年10月1日16:31  ID: MjExMDM2N

      ルールだから。これで解決

    23. Lily
      2014年10月25日8:38  ID: NzY3NDU4N

      かなり苦しい思いしてるのに殺すなとかは、私は不公平だと思う。誰も助けてくれないくせして、たえれるはずがないもの、怨みの相手を【殺すな】なんて無理な事。
      世の中は、不公平だからその現実を受け止めるしかないのかもね…

    24. キジトラさん
      2014年12月18日19:39  ID: MjQ5MzUxO

      人間であることが、それを行えない理由かな
      俺がライオンなら人殺しも自由に出来るのに…

    25. 考える人
      2015年1月13日23:08  ID: MjMyNDQxN

      答えは「時間を奪ってしまうから」です。
      生きているということは時間を与えられたということです。
      殺すとは時間を奪う行為です。
      誰にも時間を奪う権利はありません。
      それが答えです。

    26. 考える人
      2015年1月13日23:28  ID: MjMyNDQxN

      人を殺してはいけないのは時間を奪ってしまうからです。
      生きているということは時間を与えられているということです。
      時間を奪う権利を持っている人はいません。
      だから人を殺してはいけないのです。

    27. キジトラさん
      2015年2月17日22:08  ID: MzI0NDkyN

      時間を奪うとか、権利だとか主張しても、
      『なぜ時間を奪うのはいけないのですか?』
      が待ってるだけ。
      それに対して
      『嫌がるから』
      って言ってみても
      『嫌がることをしちゃいけないのはなぜ?』
      ってなる。
      もっともらしい難しい理由を応えようとしても無駄。

      人間が『人間社会』を構成するにあたって決めたルールだからダメ。
      真理はどうだか知らないけど、『人間社会』に組み込まれて生きたいなら
      従わないといけないルールの一つ。
      シンプルに考えれば校則も法律も大して変わらない重さ。

      長生きが良いことだとか、早死にが不幸だとか、
      その他にも色々と事象に価値を定義付けて『社会』が創られてる。

      …とか言っても理解できないか、子供は^^;

      なので『みんなで話し合って、そういうことはしちゃダメって決めたから^^』

      ぐらいでおkww

    28. キジトラさん
      2015年3月28日22:50  ID: ODU5NTcyM

      人間も生物だ
      生物は太古の昔から種を維持し増やし繁栄することがプログラムされている
      同じ種でお互い殺しあったらどうなる?
      増えないし繁栄できなくなる
      だから自分達の繁栄の邪魔になる「敵」以外は殺してはいけない
      これは太古の昔からプログラムされている生物の本能だ
      その前提の上で人間社会も法律も形作られているにすぎない
      種が繁栄できなくなるから殺してはいけない
      そうプログラムされている

      死刑も戦争もそうだが、殺していいのは自分達の繁栄の邪魔になる敵だけだ

    29. eegge
      2016年5月22日4:07  ID: MTAxNzA4N

      「なぜ人を殺してはいけないの?」

      この問いは、1997年8月15日、 TBS ニュース23》故筑紫哲也がキャスターを務めたテレビ番組『ニュース23』が企画・放映した「ぼくたちの戦争’97」という特集コーナーで、高校生たちが大人たちと討論する中、ある高校生がこの問いを投げかけ、さらに「自分は死刑になりたくないからという理由しか思い当たらない」のですが、と続けています。この生徒は大人からの本当の答えがほしかったのです、大人達に救いを求めていたのです。

      しかし、キャスターの筑紫哲也はもとより、ゲストとして同席していた大江健三郎、その他の所謂知識人達も、誰一人、答えることができなかったのです。

      同年、朝日新聞で大江健三郎の「誇り、ユーモア、想像力」と題されたコメントが掲載されました。(朝日新聞 1997.11.30 朝刊)

      「テレビの討論番組で、どうして人を殺してはいけないのかと若者が問いかけ、同席した知識人たちは直接、問いには答えなかった。(中略)私はむしろ、この質問に問題があると思う。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。そこにいた誰も、右往左往するばかりで、まともに答えられなかったのだ。あれだけの知識人がそろっているのに、子供の質問にすらまともに答えられないのかと、世間は嘲笑した。そのようにいう根拠を示せといわれるなら、私は戦時の幼少年時についての記憶や、知的な障害児と健常な子どもを育てた家庭での観察にたって知っていると答えたいなぜなら、性格の良し悪しとか、頭の鋭さとかは無関係に、子どもは幼いなりに固有の誇りを持っているから。。(中略)人を殺さないということ自体に意味がある。どうしてと問うのは、その直観にさからう無意味な行為で、誇りのある人間のすることじゃないと子どもは思っているだろう。こういう言葉こそ使わないにしても。そして人生の月日をかさねることは、最初の直観を経験によって充実させてゆくことだったと、大人ならばしみじみと思い当たる日があるものだ。」

      これは、無慈悲に生徒をなじいるだけではなく、知識人としてはあるまじき「直観」を持ち出してくるとは、全く、人間失格であり、知識人失格と断罪ぜざるを得ません。

      「なぜ人を殺してはいけないの?」という問を出した生徒は、一体、何を問うていたのでしょうか。この生徒がコトバに表せない本当の問は何だったのでしょうか。
      この生徒は「自分は死刑になりたくないからという理由しか思い当たらない」ということを知っているのです。つまり、私たち「人間社会の秩序を維持」するために、「殺してはいけない」ということぐらいのことは知っていると主張した上で、この生徒は、人間の尊厳を賭けて、実存を賭けて、自分自身で「殺してはいけない」本源的な理由を知りたかったのです。言い換えれば、「主体なき理性」で単に知識として知るだけではなく、「主体ある理性」すなわち意志と感情を伴った全人格を賭して知りたかったのです。

      この生徒の切なる問いに答えるには、「一体、私たちに自由はあるのか?」という根本的な問いに答えなければなりません。自由がないところに倫理は成立しません、自然必然の法則に従って生きるだけなら、善悪を問うことはできません。この自然のルール(自然の摂理)に加えて、社会のルール、人間のルールに従うこということになれば、そこには私たちの自由は全くありません。

      仏教は「人間の自由」について、既に2500年前に単純明確に答えを出しています。

      「私たちの自由とは、自然必然の法則を無視して勝手に生きることではない、生きられるはずもない、むしろ、自然必然の法則に則り、自らのものとして、積極的に自然必然を活用する、すなわち<使然>の立場に立てば自由である。」

      「また、社会からの自由を求めるならば、<人知>を客観視し、<人知の専横>を許さないことである。知は真偽、情は美醜、意は善悪というそれぞれの領分かある。<人知>は分別知であり、相対知であり、<関係知>である。関係の中に住む以上自由はない。」

      「善悪は<人知>の産物である。善も悪もない世界、それが三昧の世界である。三昧には<自然の知=無知の知>と意志と感情とがある。三昧とはただ物事に<感情移入>し、物事と一つになることである、物事と一致するとき、そこに「慈悲>愛」が現成する。慈悲あるところに悪がある筈がない。善悪に苦しむより、三昧を楽しむことである。」

      現代の最大の問題は<知の情意に対する越権><主体なき理性の専横><知の全体主義>なのです。大江健三郎その他の所謂知識人の存在そのものが悪なのです。若者達はこの<知の全体主義>の中で圧死寸前なのです。若者達をこの息苦しい(生き苦しい)世界から救出するには、単純に<感情移入>の骨を伝授することです。<感情移入>とは決して知識ではなく、行為であり、行動であり、体験なのです。<感情移入>のあるところには決して悪はありません、倫理判断に迷うこともありません。若者をして、何事にも<感情移入>ができる自分に、自分自身が仕立て上げられるうように、私たちは大人は、無言で寄り添いながら、機会を与えればいいのです。

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