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学校が「いじめゼロ宣言」をすることでいじめは表に出てこなくなる
2014/12/30 22:02  コメント (3)
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  • いじめゼロ宣言

    教育社会学の准教授・内田良氏が、「いじめゼロ宣言はいじめを温存する」というちょっと面白い意見を主張していました。

     

    いじめゼロ宣言を高らかにうたってしまうと、教師や学校からいじめの報告が上がりづらくなってしまってかえっていじめ温存につながってしまうという意見。なるほど確かに、そういう面もあるかもしれません。



    クラス全員皆勤

    いじめゼロ宣言とはちょっと関係ないけど、わたしはこの話を聞いたときに、「クラス全員皆勤」の話を思い出してしまいました。福岡県筑紫高校が1年間「全員で無欠席を目指そう」と呼びかけて、高熱やケガで欠席しそうになった生徒にも「励まし」をして見事皆勤を達成したという話…。わたしはこの話は全く美談だとは感じられませんでしたし、気持ち悪いなぁと違和感を持ったものです。(わたしがこのクラスだったら絶対サボってたなw)

     

     学校が「いじめゼロ宣言」をすることでいじめは表に出てこなくなる 福岡の高校でクラス全員が1年間の皆勤を達成、「高熱やけがで欠席しそうになった生徒もいたが励まし合った」 | ガールズちゃんねる – Girls Channel -

     

    体育会系というか、ブラック企業体質というか…日本には目標を絶対化してしまい本来の目的を見失ってしまう風潮がどこかにあるように思えます。

     

    いじめゼロ宣言も同じ

    いじめゼロ宣言も似たようなものでしょう。ゼロと宣言したからには、達成しなければならないという雰囲気が出来上がる。いじめを報告したら、空気が読めない奴という評価が下される。内田氏が主張しているように、ゼロ目標というのは掲げること自体逆効果といえるでしょう。

     

    そもそもゼロにするのは無理

    そもそも、いじめをゼロにすることができるってのは現実に足がついていない理想論(妄想)にすぎません。どこからがいじめなのかって話ともつながってきますが、人間が集団生活を送る際にはかならず軋轢が生まれます。ほどよい距離感を保つ処世術を見につけていない子供たちなら、絶対に「いじめ」は起こる。このことを前提としてしっかり教師が共有していないと、いじめを減らすことはできません。

     

    教師の中には、自分のクラスでいじめが発生するのは「恥」だと感じる人もいるかもしれません。いじめを減らしていくためには、まずその意識を改革していくことが必要となるでしょう。いじめは必ず発生する、それにどう対処していくのかが教師・学校の腕の見せ所だっていう発想の転換が必要なんです。

     

    学校は美麗字句が好き

    それにしても、学校ってなんでキレイなスローガンを好むんでしょうかねぇ。体育祭とか運動会とかで掲げられるスローガン、大嫌いだったなぁ。美しい言葉、優等生的言動をしておけば褒められるって風潮、わたしはとうとうなじむことができなかったなぁ…(そのまま社会になじめず今に至る)

     

     

    記事引用

    鳥取県で10月下旬、教育委員会がいじめ防止啓発用のクリアファイルに記載予定だった「いじめゼロ」のスローガンをみずから削除するという出来事があった。

    記事(「「いじめゼロ」標語不適切で変更…鳥取」読売新聞)によると、削除の理由は、「教員らが件数ゼロを意識して報告をためらい、子どもへの適切なフォローを損なう可能性があるとの懸念が出たため」である。なるほど、「いじめゼロ」をスローガンに掲げると、「件数ゼロ」を目指すことになる。そうすると、教師がいじめのような事案を見つけたとしても、それを報告できなくなってしまうというのだ。

    「いじめゼロ」がとりわけ公的な目標として強調されるとき、そうした事態はより起こりやすくなると考えられる。「ゼロ件を目指す」と行政や管理職から言われると、事例を見つけても報告しづらくなるのは容易に想像がつく。

    いじめの件数が減ったのは「ゼロ運動の効果」?

    宇都宮市では、2013年度における小学校と中学校のいじめの発見件数(認知件数)が、2012年度の187件よりも25件少ない、162件であった。この数字の変化について、地元紙は、「市教委「ゼロ運動効果」」と見出しを打ち、「いじめゼロ運動の取り組みを充実し、未然防止に努めている」との市教委のコメントを紹介した。

    これがそのとおりであれば、何も心配をする必要はない。だが、いじめの件数が減るということに関する見解が、先述の鳥取県のそれとまったくの逆であることに留意しなければならない。

    鳥取県教育委員会は、「いじめゼロ」は教師からの事例報告を抑止してしまうと考えた。教師がいじめらしきものを見つけても、「いじめゼロ」宣言のプレッシャーにより、教師は報告を躊躇してしまう。この観点からすると、「いじめゼロ」運動を推進してきた宇都宮市でいじめの件数が減ったのは、大きな問題であると結論される。

    ゼロ信仰からの脱却を

    本当にいじめの件数が増えたのか減ったのか、それは誰にもわからない。ただ一つ言えることは、「いじめゼロ」宣言のよい効果だけを考えてはならないということである。

    宣言により、啓発が進み、本当にいじめが少なくなっていくかもしれない。それだけなら、何も問題はない。だが留意すべきは、むしろ、ゼロ宣言がいじめを隠すことにつながってしまうという危険性である。

    教育の世界には、「いじめゼロ」以外にも、さまざまな「ゼロ宣言」がある。「いじめゼロ」「虐待ゼロ」「体罰ゼロ」・・・ これらはいずれも、ゼロを目指すことよりも、まずは事例をたくさん拾い上げることのほうが重要である。

    いじめも、虐待も、体罰(暴行)も、そもそも隠されやすい性質、公にはなりにくい性質のものだ。だからこそ、事例が発見され、認知されることは、基本的に重要なことと考えなければならない。「ゼロ宣言」は、その障壁となってしまう。

    「ゼロ宣言」が、その意図とは裏腹に、何を帰結することになるのか。ゼロ信仰からの脱却が、教育の世界には必要である。

    「いじめゼロ」を撤回した鳥取県教育委員会は、クリアファイルに「いじめの早期発見につながるようなメッセージ」を入れることにしたという。

    「いじめゼロ」は非現実的である以上に、教師からの報告をためらわせてしまうことになる。それよりは、いじめが起こるということを前提にして、いかに早い段階で教師がそれに気づけるかという課題設定である。そのほうが、現実的な対応といえよう。

    聞こえのよいスローガンに惑わされることなく、子どもの問題を冷静に見ていく態度が求められる。

     

    via: 「いじめゼロ」宣言は、いじめを温存する――「虐待ゼロ」「体罰ゼロ」 教育の世界にあふれるゼロ信仰(内田良) – 個人 – Yahoo!ニュース

     

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    1. キジトラさん
      2014年12月31日11:39  ID: MTEzODQ5M

      >福岡県筑紫高校が1年間「全員で無欠席を目指そう」と呼びかけて、高熱やケガで欠席しそうになった生徒にも「励まし」をして見事皆勤を達成したという話…。

      まあ進学校ですからねえ。色々ありますよ。

      >いじめゼロ宣言も似たようなものでしょう。

      これはまたちょっと意味が違うかと。いじめは学業に関係ありませんから。
      ただ、いじめゼロの号令がイジメを隠蔽するのは間違いないです。これ発想が逆なんです。
      いじめは必ずある。この認識から進まないと方向を見失います。

      だから本来はいじめゼロじゃなくていじめを見つける!が正しい方向です。
      全国の学校なりに統計をとったりして、いじめがどの程度起きているのか把握する。
      そしていじめをその年度で必ず見つけるようにするんです。
      いじめ内包率とでもいえばいいでしょうか。必ずその率の沿った形でいじめを見つけることを
      学校側が徹底的に行えばいい。そうすればいじめ被害は減ります。

      もちろんいじめはなくなりません。でもいじめは無くす事が目的じゃないですから。
      いじめ被害者を救助する事が目的なのですから。

      これって当たり前だと思っていましたが管理人さんが驚かれているようで逆に驚きました。

      学校はじめ発生率を把握して最低限その率分は把握し指導する。
      これがいじめに対する効果的な対策です。ただ教師側は大変になるでしょうからねえ。
      別の部署なりを設置したほうがいいかも知れませんが。

      >それにしても、学校ってなんでキレイなスローガンを好むんでしょうかねぇ。

      スローガン自体は必要ですよ。
      学校って共同体ですから。個人だ!個人だ!で何でも片付けられません。
      それは社会においても同じです。
      学生と社会人という札は違えで何らかのコミュニティに属するんです。
      人はまとめる必要がある。それがスローガンというものです。

      ただ間違った方向に行っちゃうと問題なだけです。
      方向さえ間違えなければスローガンは大事です。
      例の学校の件でも、全員で皆勤しようというスローガンがあれば普段から生徒は健康や体調に気を
      使うことになります。筑紫高校って進学校ですから生徒もバカじゃない。
      クラスメートの健康にも気遣うことが多くなるだろうし、スローガンが無かった時と比べ絶対に視野は広くなります。

      実はそれが本質なんです。
      例えば本当に重症で登校できないのに、このスローガンのおかげで登校させるなんて事は絶対にありません。その時は休ませるでしょう。間違いなく。そこは当事者同士で判断すればいいだけです。

      私がいいたいのは管理人さんはスローガンに対して偏屈なイメージを持っているという事です。
      本質は別にあるんです。そしてそれが人間的成長を広げる。
      私は筑紫高校のスローガンには賛成します。全然間違っちゃいないです。

    2. キジトラさん
      2015年1月1日20:20  ID: MzA2OTkwM

      絶対?
      保証出来る?

    3. キジトラさん
      2015年1月2日10:39  ID: NzM5NDY3M

      絶対ですよ。
      そんな事すれば問題になりますからね。

      本質を考えない人間はバカです。
      それじゃアホサヨと同じですよ(笑)

      重症で学校に無理やり登校させるようなことがあれば親が必ず問題にします。
      親じゃなくてもクラスの誰かは問題視する。
      それが広がり必ず学校側は窮地に立たせられます。

      そんな墓穴を学校側が自分で掘ると思いますか?
      それが本質です。うわべでしか見ない人間にはきっと理解できないのでしょうね。

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