2ch PC スマホ iPhone Android WindowsPhone ガラケー ガジェット ニュース 壁紙

黒人が洗剤と一緒に洗濯機に入れられアジア人に。とんでもないCMが公開直後に批判殺到、公開中止に

久しぶりにとんでもないCMが現れました。黒人を洗濯してアジア人にする、という内容。余りにもとんでもない内容に世界中から非難が殺到して公開が中止されることになりました。

 

【5月30日 AFP】中国で洗濯機に押し込められた黒人男性が色白のアジア人に変身する内容の洗剤のコマーシャル(CM)が放送され、米国などで非難を巻き起こしていた問題で、この洗剤を手掛ける中国メーカーが「物議を醸す内容だった」として謝罪した。

 謝罪に追い込まれたのは上海雷尚化粧品(Shanghai Leishang Cosmetics)。28日遅くにソーシャルメディアの公式アカウントに声明を出し、「CMの拡散とメディアによる過度な増幅によってアフリカ系の人々を傷つけてしまった」ことをおわびすると表明した。

 一般の人々やメディアが深読みしないよう心から希望すると述べる一方、「(CMの)物議を醸す内容に対する責任は免れない」と認めた。

 同社の洗剤「Qiaobi」のCMでは、若い中国人女性が、口笛を吹いたりウインクしたりしながら近づいてきた黒人男性の口に洗剤の袋を押し込み、洗濯機に無理矢理入れる。しばらくすると、中から清潔な衣類を身に着けたアジア人男性が現れる。

 これに対して米国のニュースサイト上には、中国での黒人に対する人種差別的な態度を示す一例だなどと非難する声が殺到していた。CMは動画投稿サイト「ユーチューブ(YouTube)」で3日間で700万回以上再生されている。

 上海雷尚は当初こうした非難に対して「敏感すぎる」と反論していたが、その翌日に一転謝罪した。声明によるとCMの放送はすでに中止しており、リンクも削除したという。

via: 黒人からアジア人に変身する洗剤CM、中国メーカーが謝罪 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News





ニュースのまとめ

改めて情報を簡単に整理しましょう。中国の洗剤のCMが差別的だという理由で大量の非難を受け、公開を中止しました。そのCMの内容は以下。

 

黒人を洗剤と一緒に洗濯機に入れ、出てきたのは白くて清潔な服を着たアジア人。洗濯機に入れた女性とちょっと良い雰囲気になってCMは終了します。

 

これに対して多大な非難が殺到し、企業側は当初「敏感に過ぎる」と反論していたもののあまりの非難の量に全面的に謝罪をすることとなりました。

 

イマイチ反省の色が見えない企業

この記事を最初に読んで感じたことは謝罪声明の不誠実さです。CMの内容を「物議を醸す内容だった」と言い、「CMの拡散とメディアによる過度な増幅によってアフリカ系の人々を傷つけてしまった」と表明しています。

 

これは、問題の本質があまりにもズレた謝罪であると感じませんでしょうか? CMの拡散とメディアによる過度な増幅は、差別行為とは一切関係がありません。

 

差別行為はあくまでそのCMというコンテンツそのものにあるのであって、拡散の手段とは別個の問題です。しかし、それが謝罪の内容に含まれている。まるで拡散されたことによってコンテンツに悪い属性が付与されたかのような言い草です。

 

これには流石に閉口します。とは言っても、このようなCM企画が通るような会社ですから非難を受けてもその意味が中々わからずとりあえず謝っておこうという方向性に向かうのはある種当然ではあるのですが…。

 

0f0e39a99b14ecf0f59a2b9834e032a9 m e1433328454265 1024x864 黒人が洗剤と一緒に洗濯機に入れられアジア人に。とんでもないCMが公開直後に批判殺到、公開中止に

 

怒ることの意味

このような差別行為に対して怒りの声を挙げることに対して批判的な人がたくさんいます。曰く、「表現の自由である」「敏感に過ぎる」といったものです。

 

もちろんそのような考え方は理解できます。表現の自由だと訴える人の気持ちもわかります。では、そのような自由はどのように決まるのか考えたことはお有りですか?

 

黒人差別は昔は当たり前に行われていました。動く家具とすら言われていました。なぜそれがダメになったのか。倫理的に許されないことになったのか。

 

それは法律が生まれたからでしょうか? いいえ違います。法律はいつも、立法権を持つ私たち市民の意思が反映されて初めて生まれます。

 

つまり、その自由や法というものは正に私たちの日々の議論や怒りの表明、赦しなどの様々な感情表現活動によって成り立っています。

 

怒る人もいる。怒らない人もいる。表現の自由だと言う人もいれば、そう思わない人もいる。そのような感情が世界に存在することを、相互に承認しあうことが価値観の形成の最初の一歩です。

 

とすれば、そのような怒りの表現も、あるいはそれに対して「敏感に過ぎる」という反応をすることも、どちらもこの価値観形成に至る大切なプロセスなのです。

 

まとめ

このようなCMは許されない。と私は個人的に考えます。もちろんそう考えない人もいます。どちらが絶対に正しいということはありませんが、そのどちらの意見も表明されなくてはいけません。

 

暴力的に抑圧するようなことはあってはならないのです。表現の自由という言葉は決してあらゆる表現を許すものではないという当たり前の常識くらいは、持っておくべきでしょうね。





関連記事

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

オススメ記事

副管理人募集

文章書いて金稼ぎたい人募集。ネタはガジェット、政治、経済、法律、貧困、歴史、教育、社会問題、音楽、文学など。ノルマは特に無いので気が向いた時だけ書いてくれればOK。希望者はメールフォームから問い合わせてください。条件を聞くだけでも構いませんので気軽にどうぞ。

コメント

  • トラックバックは利用できません。
  • コメント (0)
  1. この記事へのコメントはありません。

広告

おすすめサイト:Freemake YouTube ダウンロードソフト

 



画像RSS





カテゴリー

ブログパーツ

アクセスランキング
ページ上部へ戻る