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教員の政治活動より生徒の「教育を受ける自由」のほうが大事

18歳選挙権解禁

18歳選挙権が解禁されるのを受け、自民党が教師の政治活動に制限をかけ罰則をもうける提言をしています。併せて、高校生の政治活動についても「基本的に抑制的であるべき」との対応をするとのこと。

 

教員と生徒の政治活動の自由について、論考していきたいと思います。



罰則はないけど

現時点では、教師が政治活動をしても罰則はないようです。ただ、他の国家公務員については政治活動の自由に一定程度制限がかかっています。

 

地方公務員の政治活動については、地方公務員法第36条が制限をかけていますが、罰則規定が定められていない状況。

 

公務員と政治活動の自由について論じていると、それだけで数記事できてしまうので、今回は地方公務員である(国公立の小中高校の)教師の政治活動について…。

 

02a2185800beda95209cf61ffdd7a011 教員の政治活動より生徒の「教育を受ける自由」のほうが大事

 

最高裁の判決

罰則反対派は、教育現場に委縮が生じるだとか、教授の自由が制限されるだとか反論しています。

 

が、普通教育(小中高)においては、教師には完全な教授の自由は認められていないってのが最高裁(旭川学テ事件判決)の立場です。理由は…

 

  • ・児童生徒に教授内容を批判する能力がないこと
  • ・学校や教師を選択する余地が乏しいこと
  • ・教育の機会均等をはかるうえから全国的に一定水準を確保すべき要請があること

 

など。

 

…この自由は,その性質上,学問の自由と関連を有することを否定しえないが,そのことから,直ちに,学問の自由そのものに含まれる,と解しうるかは問題である。

 

この点,判例は,旭川学力テスト事件において,憲法の保障する学問の自由は,普通教育の場においても,〈一定の範囲における教授の自由〉を保障するものだ,と解しつつ,同時に,児童生徒に教授内容を批判する能力がないこと,学校や教師を選択する余地が乏しいこと,教育の機会均等をはかるうえから全国的に一定水準を確保すべき要請があること,などの諸理由から,〈完全な教授の自由〉は容認されない,と判示している(1976年最高裁判決)。

Via:旭川学力テスト事件

 

生徒の「教育を受ける自由」

この判例の趣旨にのっとって考えるのであれば、批判能力や選択の自由がない生徒に影響を与えかねないようなレベルの教師の政治活動は制限されるべきだってことになります。

 

日教組などの政治活動を一律罰則化するのも問題ですが、本来考えるべきは教師側の自由ではなく子供・生徒の側の「教育を受ける自由」の方です。委縮云々いうのはちょっと優先順位が違っているんじゃないかなぁ。

 

ボイテルスバッハ・コンセンサス

どこまでが許されるのかっていう線引きについては、ドイツのボイテルスバッハ・コンセンサスが参考になると思います。

 

  • ・教師が生徒を圧倒し、生徒の判断をおかしてはならない
  • ・論争のある課題については、授業でも論争があるものとして扱わなければならない
  • ・生徒が効果的に政治に参加できるように、必要な能力の獲得を促す

 

生徒の政治活動の自由については、政治活動よりも教育・学習の方が優先度高いよなぁとは思う。「運動」に参加すると、その運動の方向しか見えなくなりますからねぇ。大学生なんかでもそうなんですから、高校生までは特に影響が強いかと。高校生へのオルグとか考えるだけでも問題点が多いことが分かります。基本的には抑制的な方向を目指すのが正しいかと思います。

 

記事引用

 党の体質と言えば、さすがに言い過ぎだろうか。意に反する動きを抑え込む「報道圧力」に通じる意識をのぞかせたように映る。
 選挙権年齢を18歳以上に引き下げるのに合わせた主権者教育のあり方について、自民党がまとめた提言である。
 高校教員らに「政治的中立」を求め、逸脱した場合は罰則を科すよう教育公務員特例法の改正を促す内容だ。
 念頭にあるのは、日教組に対するけん制。いかにも前時代的な「過剰反応」と言わざるを得ない。
 もとより、主権者教育に名を借りた「偏向教育」は認められない。教員が生徒らに働き掛け、投票先を誘導してはならないこともまた自明だ。
 ただ、そうした行き過ぎが横行する状況でもないし、仮にあったとしても、その事実が明るみに出て、直ちに是正されるに違いない。大げさに構えることではなかろう。
 むしろ、教育現場が萎縮することを強く恐れる。意味するところの曖昧な「中立」が、教育から自由な発想を奪い、斬新で効果的な授業の組み立てに挑戦する積極性を奪いかねないからだ。
 対立する具体的な課題を踏まえた政治テーマを一切避けて、無難な授業にとどまっていては、生徒らの関心を引くことはあるまい。当然、大きな教育効果も期待できない。
 学校から政治が遠のいて久しい。反戦デモや70年安保闘争をめぐり、生徒の政治的活動を禁じる文部省(現文部科学省)通知が、「無垢(むく)」な状態に留め置き、後々の政治的無関心にもつながった。
 主権者としての意識を高めるには、魅力的な授業が欠かせない。過剰な制約は、教員らの過剰な自己規制を招くだけで、求められる取り組みも無味乾燥な形だけのものに終わってしまうだろう。
 よくよく考えてみれば、いかにも粗雑な提言である。「中立」の定義自体があやふやで、罰則だって公務員の服務規程があるではないか。
 高校生の政治活動を禁じる通知については、18歳に選挙権を与える以上、さすがに「禁止」を見直す方向だが、抑制的に指導するという。これでは主権者としての自覚が深まらず覚悟も育つまい。
 準禁治産者のごとく扱うのではなく、20歳以上の有権者同様、法的枠内での自由な活動を保証すべきだ。
 意欲をしぼませるような冷や水を浴びせてはならない。
 選挙を規定したわが国の法律は、ともすれば「べからず法」とされる。この際、そうした法体系を根本から問い直す契機にもできないか。
 高校生らの政治参加は、次代を担う若者の意向を政策判断の要素に組み込むことで、政治の流れを変えるインパクトを持つ。社会の持続性が高まり、幅広い年齢層が当事者になることによる政治のパワーアップも望めよう。
 高校段階の主権者教育は、政治的リテラシー(判断力)のある若者を育てる鍵だ。小中学校において教科に格上げされる道徳でも、軸の一つに取り上げ、その基盤づくりにもつなげたい。いずれ、選挙権拡大の趣旨に反する余計な介入は避けるべきだ。

via: 社説|主権者教育/曖昧な「中立」萎縮招かぬか | 河北新報オンラインニュース

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コメント

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  • コメント (1)
    • キジトラさん
    • 2015年 8月 01日

    二つに分けて考えるたぐいのものではない

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