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「物乞い」をしている底辺の人達にお金を上げるべきか 

持てる者・持たざる者

「wasting time」氏がブログで、持てる者・持たざる者について語っています。 ブロゴスのコメント欄では、経済思想・海外情勢など各種の視点から深く切り込んだ議論が交わされていました… ブロゴスの米欄ほど深い話はできないので、わたしなりの角度からあれこれと論考してみたいと思います。

 

「物乞い」をしているような底辺の人たちに対して、金銭をあげるべきなのかどうなのか。



情けは人のためにならない

wasting timeさんは、基本的には「情けは人のためならず(※誤用の方の意味)」の精神をベースにすべきだと考えているようです。 ただ、悩みも見せていて、もしかすると支援すべき事情があるのかもしれない云々。

 

わたしは、そう深く悩まず、自分が支援したいと思ったらお金をあげればいいんじゃないかと思っています。その人のためになるかどうかなんてことは、その人自身が判断すればいいわけで…。

 

街頭募金なんかも、割と内容次第で気軽にお金を入れるようにするタイプです。胡散臭いなと思ったものには入れないようにしていますし、趣旨に賛同できないものも協力しませんが…。

 

自由でいいんじゃない?

持てる者は寄付をすべきだ云々って点に関しても、「べき」論は展開しなくて、自由にすればいいじゃないかって発想。 寄付して自己満足に浸るのも別に悪いことではないし、社会的立場・評価をあげようという下心があっても構わない。個人的には、立派なことだと思いますし、そういう立場になりたいものだなぁと常々思っています(なれないのが現実ではありますが…)。

 

日本人らしくないだとか、その人のためにならないから云々だとかいう発想がよくわからないw

 

社会的弱者を誰が救うべきかって話は、掘り下げると相当高度な議論になってしまう感じ。 政府・NPOなどの支持団体・富める者・隣人・赤の他人などなど、いろんな答えが考えられますが、どれも充実させていくに越したことはない。ただ、政府・支持団体以外の人たちに強制するような社会になってしまうと息苦しいし、なんだか宗教っぽい。自然と寄付とか支援をできる社会になればいいんだろうなぁと思うけど、それは理想論すぎるんだろうなぁ。

 

本当の意味での「情けは人の為ならず」が浸透・実現している社会であればいいのに(実際はそうではない)。

 

※情けは人の為ならず:情けは他人のためのものではない、いずれは巡って自分にかえってくるから、誰にでも親切にしておく方がいい

 

記事引用

NYの地下鉄、いやいろんなところに物乞いがいる。貧富の差がそれだけ大きいのか…。とも思うし、日本などと違ってそういったものが当たり前と受け入れられているのか、結構小銭や物を与えている人も多い。

自分自身のこれまでの感情はそういう人たちは努力してまっとうな職を探すべきである。本当は恵みたいが、それは決して本人たちのためにならないので金銭やものを与えるものでないとずっと思ってきた。

たぶん、日本人としては標準的な考え方ではないだろうか。

もちろん、何か災害があったときには相応に(場合によっては自分の身が少し痛む程度)に寄付もしているし本当に困っている人を助けたいと思っているしそれが人間の義務であるとも思っている。

だがよく考えるとそういった人たちは本当に働きたくて職を探したが職がなかったかもしれない。見た目ではわからないが何か慢性的な病気を抱えているかもしれない。少年時代に間違いを犯して職に就く機会がなくそのままもう働くという習慣を身に着けることが無理になってしまったのかもしれない。

そう考えると、本当は金銭をあげるべきなのではないかと最近は少し思うようになっている。

どんな理想的な社会になっても一定数、社会からなんらかの事情で疎外される人たち、(表現は不適切かもしれないが)脱落する人たち、社会に不適合な人たちがきっと存在するだろう。そういった人たちは通常、政府の援助や民間の援助によって救われることになる。

もちろん、上述の人たちも政府による援助をすでに受けたうえで職業としてそういった行動をやっているかもしれないが…。(意外と実入りが良かったりして…)

だが、いずれにしてもわれわれの税金やどこかのボランティア団体からの援助によって救われるのであれば、そのような組織を介さずに直接にお金を受渡しして支援することも問題がないのではないかと思う時があるわけだ。

最初に書いたように、「情けは人の為ならず」は非常に重要な大原則であると思うけれども…。

幸運にも親が財産を持っていてそれを受け継ぐことができた人たち。幸運にも優秀な頭脳や優秀な肉体を持つことができその結果として成功した人たちは慈善活動を通して少しでも世の中に貢献すべきだと思う。

一方で成功した人たちを嫉妬するべきでもない。どんなに優秀な頭脳や才能があろうとも努力一切なしに成功することなど不可能である。もちろん、運さえよければそれでも成功する人もいるだろう。でもそんな例外的な人を嫉妬すべきでもないだろう。運だけで分不相応な金銭や地位を手に入れたとしても幸せに離れないし長続きはしない。いつも言うように年収は600万を超えてくればあまり幸福度は変わらないし宝くじで収入を得たとしてもたいていの場合は幸福は長くは続かない。

なんか日本の一億総中流的な感覚はいいのだが、努力や才覚を個人のものと考えすぎているきらいがあるのではないかと思って憂いているからである。たぶん、将来への不安・税金の高さ・自己責任の意識や努力することの大切さをわかっているからでありそれは素晴らしいことでもあると思うのだが、寄付やそういったことがあまり増えない原因でもあるのだろうと思う。

すべての人は自己責任の原則に基づいて生きるべきだが、不幸にして失敗した人・チャンスを与えられなかった人たちがいる。そういったことに人並み以上に暮らせている人はもっと気を配るべきだろう。ってまあ、お前が言うなという感じかもしれないが…。

なんか当たり前のことを何のたとえ話も数字もなしにそのまま書いてしまいました…。来週はもうちょっと気の利いた文章を書けるようにします。

 

via: 持てる者と持たざる者

 

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コメント

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  • コメント (4)
    • キジトラさん
    • 2014年 6月 29日

    幸せは他人から奪うもの
    貧困と富の寡占はどうしようもならないよ
    解決策があればとっくに解決してる

    • キジトラさん
    • 2014年 6月 30日

    つーかあげたければあげれば良くね? 日本人ってこんな糞真面目に考えるんだっけ?
    「自分が乞食を助けてもいいのか?それとも助けないでいるべきか?」とかいくら悩んでもさ、あげられる範囲の小銭だけを与えたところで、目の前の乞食は本質的にはちっとも救われないよ。まさに焼け石に水だよ。
    そもそも仕事があって金があってもメンタル的に救われてない人間も多いのに(笑)
    難しいこと考えないで、お金をあげたいと思ったのなら自己満足的な悦の気分を買うくらいの気持ちであげればいいし、偽善を苛む声が自分の中ででかい、あるいはどこの馬の骨かも分からない相手にお金をあげて損をしたくないようなら、あげなければいい。

    • キジトラさん
    • 2014年 6月 30日

    キジトラジャーナリスト気取り?ただの中2?笑

    • キジトラさん
    • 2014年 6月 30日

    親族以外で他人にお金をあげるのは、はいここまでよ、お開きよ、もう私はあなたに関係なく去りますよ、という意味か投資か酔狂や洒落だと思うよ。お金をあげるより仕事と給料あげた方がいいよ。

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