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日本企業は人種も年齢も関係の無いオーケストラを見習え

世界には年齢も人種も関係のないオーケストラがあるという。それに比べて日本企業はあらゆる属性を恣意的に評価して組織の人間を決める。そういうのが「後進国」だってなんで気づけ無いんだろう。



人生の真ん中は50代である

人間は動物である。動物は自分で餌をとるのが基本である。人間は子供の時期がものすごく長く、20歳前後までは、親に食べさせてもらっている。つまり、一人前の「人間」とは言えない。人間の自立した人生は20歳前後から始まることになる。

現在の平均寿命は、85歳前後なので、約65年間、「人間」でいることになる。そうすると「人間」としての人生の真ん中は、50歳から55歳くらいになる。これは単純な算数の問題である。

ところが日本人は50代に入ると「人生もう終わりや」と思い始める。なぜかというと定年を意識するからだ。定年は、60歳とか65歳。「もうちょっとしかない」、と思うから「人間は50代になったら下り坂やな」と、ついつい考えてしまうというわけだ。

冷静に考えたら、定年など世界のどこにもない。アングロ・サクソンの世界では、履歴書に年齢欄があるだけで「炎上」する。仕事で人を雇う時は、意欲と体力と能力だけがグローバルな評価基準。それは人によって千差万別で、その中に年齢が入り込む余地はない。

このまえ、面白い記事を読んだ。ニューヨークのある交響楽団では、団員を新規に採用する際「ブラインド・オーディション」に切り替えたという。つまり、オーディションの際、カーテンを引いて相手の顔を見ない。

それまでは、オーディションで採用すると、白人の若い男性が優先されていた。ブラインド・オーディションに切り替えると、皮膚の色も年齢もわからない。女性が増え、有色人種が増え、そして高齢者が増えた。もちろんレベルは上がった。交響楽団全体にとって、ハッピーな結果になったという。わが国の企業でも、ブラインド・オーディションの考え方を少しは取り入れてみてはどうだろうか。

人間というのは、決して賢い動物ではない。ついつい見た目で間違った判断をしてしまうのだ。この例が象徴的だが、年齢フリーで、定年を考えなければ、50歳は人生の真ん中であるというのが、素直に腹落ちすると思う。

via: 定年制を廃止することが、一番の「働き方改革」である(出口 治明) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

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ブラインドテスト

科学の研究でも薬の効果を調べる時でも色んなところで使われるブラインドテスト。要するに、その人の外見やその人との関係性みたいなものを人材評価において用いないやり方です。「私は外見などで評価せずに、純粋に能力や成果だけで判断している!」という声が聞こえてきますが、そんなことは不可能だと言われています。

 

記事にあるように、オーケストラという最も能力が試される場であっても白人男性が多く選ばれるというのが事実。他にも背が高い方が有能なリーダーに見える、女性よりも男性の方が「頭がよく見える」といった実験結果は最新の研究でもふんだんに示されています。要するに「人は見かけで判断してしまう」のです。否応なく。

 

科学的な見地から見ても、外見の情報が評価に関わってしまうのですからブラインドテストというのは非常に重要な意味を持っています。評価者の偏見や偏った評価基準が消えた状態でテストが出来るのですから、評価者も被評価者もどちらも嬉しいはず。これを拒むような評価者は、自分の意見や偏見にしがみついているただの面倒な人です。

 

日本企業との関係は明確

これは色んな場面で言われることですが、日本の履歴書はかなり気が狂ったものになっています。まず顔写真必須。なんのために顔写真なんか掲載させられるのか端的に言って意味不明ですし、なんなら気持ち悪い。みんな慣習になっちゃっていて疑問も持たないわけですが、それって「私達は外見で判断しますよ」と公言しているようなものです。かなりありえないことですね(どうせ面接では顔見えるし)。

 

また、年齢を書かせることも他の国ではアウトなことも多いです。年齢なんて聞いてどうするのか? なぜ私達がこんなに年齢を気にするのか非常に不思議です。欧米数か国に滞在していた経験からすると、どう考えても日本人は1-2歳程度の年齢の違いを気にしすぎです。逆に海外の文化に触れてから日本の年齢主義に触れると「なぜ?」という気持ちが湧いてきます。

 

ダイバーシティ・マネジメントが出来ない日本

この年令も、顔も、全て一つの原因があるのではないかと思っています。それは、日本人がダイバーシティ・マネジメントが出来ないからではないかと思うのです。あるいは多様性への耐性がなさすぎる。すぐ画一的な基準を持ち出し、画一的な対応策を取ろうとする。

 

一人ひとり全然違う人間にも関わらず、なんとか箱に押し込めて、枠に閉じ込めて理解しようとする。年齢なんかは非常にわかりやすい。年下は下、年上は上といった意味不明な判断軸によって人を判断し、画一的に取り扱おうとするのです。

 

これは外見なども同じですね。みんな違うということをわかった上でそれをマネジメントする力が無いから、書類の段階で「自分に手が負えないであろう人達」を排除するのです。

 

こんな閉塞した日本社会を作っているのは、まさにそういう場面における多様性の否定ではないでしょうか。





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