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結局裁判員制度はどんなメリットがあったのか 

裁判員制度の見直し

法制審部会が、裁判員制度を見直す要綱案を了承したそうです。具体的には、超長期の裁判を裁判員抜きで(裁判官だけで)審議できるようにするとのこと。この見直しは、今週の臨時国会で法案として提出される模様。 これが成立すると、裁判員制度が実質的に骨抜きになってしまいます。



評価を下しにくい

ただ、裁判員制度が骨抜きになっても、本気で反対する人ってあまりいないんじゃないかなぁとも思える。 導入当初は、裁判に「市民感覚」を導入するだとか聞こえのいい言葉で褒め称えられていた印象がありましたが、始まってみると各人の負担の重さばかりが目立っている感じ。

 

  • ・市民→仕事を休むなど時間を割いて出廷する義務
  • ・弁護士と検察→立証手段を工夫するなどの負担
  • ・裁判官→裁判員に逐一説明する手間・負担

 

もちろん、これまでの裁判官だけの裁判では出ないような判決も出るようになって、一定の「影響」・「変化」をもたらしたのは事実です。でも、それがいいのか悪いのかはなんとも言えないんじゃないかなぁってのが正直な感想。

 

量刑の重さの変化

ところで、こういう「変化」の1つとして、量刑の重さの変化が挙げられます。 5年前に裁判員制度がはじまってから2014年3月までの間に、検察の求刑を超える判決が43件も出ているそうです(割合になおすと、裁判員制度がはじまる前の10倍)。

 

国民感覚・市民感覚は重罰を望んでいる、と言っても過言ではないかもしれません。

 

誰得の制度?

裁判員制度の見直し案について、北海道大学の民事法学者・町村泰貴氏は、「裁判員制度は誰得な制度じゃないのか」とコメントしています。「裁判員による裁判」の方が「裁判官だけの裁判」よりも良いという確信・信念が存在していないのではないか、との指摘。

 

「市民感覚の欠如した法曹・裁判官」という概念自体、本当に存在しているのかってことになりそうな気がします。だいたい、市民感覚ってなんなんでしょうか。

 

わたしは、裁判員制度は懐疑的です。 負担が大きい割に、得られるものが少ない。 冤罪云々は、裁判員制度以外の方法によって解消していくべきだし、そっちが効率的。 司法に一般の感覚を、というよりも、市民に法学の基礎的素養を教育・浸透させるって方が重要だし、得られるものも大きいと思います。

 

町村氏は、今回の改正で裁判員制度は崩れていって維持できなくなるのではないかと論じています。 なし崩し的になくなっていくというのであれば、それもまた日本人らしいのかなぁ。

 

記事引用

法制審部会:超長期裁判、裁判員抜きで審理へ

2009年5月に施行された裁判員制度の見直しを検討していた法制審議会(法相の諮問機関)の部会は26日、裁判員の確保が難しい長期間の裁判(超長期裁判)を裁判官だけで審理できるようにする規定を盛り込んだ要綱案を了承した。「超長期」の具体的期間は「基準を示すのは難しい」として明記しなかった。法務省は法制審の答申を待ち、今秋の臨時国会に裁判員法改正案を提出する。

裁判の途中で裁判員が不足した場合も同様に対象外とできるとのことだ。

既に、裁判員として招集された場合に、無断欠席しても罰則が適用されることはない。
出頭率は目を覆わんばかりの低さ。

裁判員制度は、英米の陪審をモデルとして無作為に選ばれた市民に義務として判断役を委ねるというものであったが、「義務」という色彩は限りなく後退している。もはや建前でしかない。
これでは裁判員の確保が難しくなるはずである。

そして今回の改正方向は、裁判員対象事件でも便宜的に裁判員抜きとすることを認めるもので、この例外を認めれば、例外が認められる範囲はどんどん広がるであろう。

というのも、裁判員による裁判の方が裁判官だけによる裁判よりも良い、良質だという確信というか信念というかが欠けているように思うのだ。
重大な事件に限って裁判員裁判を行うというのも、重大な事件で刑も重いから、より良い手続である裁判員裁判をという発想ではなく、単に裁判員確保の都合から対象事件を絞るために重大事件に限るという発想に変わってきたように思われる。死刑対象事件を裁判員裁判から外そうというのも同様で、裁判員に心理的負担をかけるからというのがその理由だが、裁判員の方が良い判断ができるという確信があれば、特に死刑事件などは裁判員裁判を必要とするはずである。

要するに裁判員裁判を実施することで刑事手続がより良質なものとなるという信念、これがないから便宜論に道を譲るのである。

そして裁判員裁判の方が裁判官裁判より良いという確信がなければ、裁判員裁判は誰得ということになる。

なぜ、一般市民に負担をかけ、仕事も休ませ、その分のコストも国庫で負担し、裁判員への教示や各種の説明という手続的負担を裁判所が引き受け、さらに弁護人にとっても検察官にとっても「分かりやすさ」を追求しなければならないという負担を引き受け、挙句に反対派にはさんざん批判されるのに、裁判員裁判をしなければならないのか、さっぱり分からなくなるのである。

今回の改正方向で裁判員対象事件に裁判員抜きの余地を認め、その理由が裁判員確保の困難にあるのだとすると、要するに裁判員の都合がつかなければ強制してまでやることはないという態度になったのであり、結局、誰得の裁判員制度は、やがて維持できなくなると思う。

結局日本人は、お上の、つまり裁判官の裁判が一番偉いと思っていて、プロの法律家の間での裁判であるから口頭主義よりは書面中心主義で効率的に処罰をする制度が最善と考えているのかもしれない。
同僚の裁判よりも天の裁きの方を信頼しているのかもしれない。

 

via: 裁判員制度、終わりの始まりか

 

1歳の娘を虐待死させた罪に問われた両親に、1審の裁判員裁判が検察の求刑を大幅に上回る判決を言い渡した裁判で、最高裁判所の弁論が開かれました。

裁判員制度が導入されてから求刑を上回る厳しい判決が相次いでいて、最高裁がどのような判断を示すのか注目されます。
大阪・寝屋川市に住んでいた岸本憲被告(31)と妻の美杏被告(31)は4年前、自宅で当時1歳だった3女の頭を強くたたくなどして死なせたとして、傷害致死の罪に問われています。
1審の裁判員裁判は検察の求刑よりも5年重い懲役15年を言い渡し、2審も同じ判断をしたため被告側が上告していました。
26日、最高裁判所で弁論が開かれ、被告側は無罪を主張したうえで「仮に有罪だとしてもほかの傷害致死事件に比べて刑が重すぎる。裁判員の考えにブレーキをかけ、公平な判断をするのが裁判所の役割だ」と訴えました。
一方、検察は「虐待が長期にわたるなど悪質で、求刑を上回る判決が不合理だとはいえない。裁判員の判断は尊重されるべきだ」と反論しました。
求刑を超える判決は、5年前に裁判員制度が導入されてから、ことし3月までに殺人や傷害致死など8つの罪で43件出されていて、こうした判決の割合は制度が始まる前の10倍に増えています。
弁論が開かれたことで判決は見直される見通しで、最高裁がどのような判断を示すのか注目されます

 

via: 求刑大幅超えの裁判員判決 最高裁で弁論 NHKニュース

 

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コメント

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  • コメント (4)
    • キジトラさん
    • 2014年 7月 04日

    バカの感情を満たせる
    市民に責任転嫁してワシ等バッシング受けにくい
    以上

    • キジトラさん
    • 2014年 7月 04日

    本来司法は最も市民感覚に迎合してはならないもの
    この点が行政や立法と決定的に異なる
    そもそも検察の求刑よりも重い量刑を課すって刑事訴訟の当事者主義の趣旨に妥当してないし

    最高裁は合憲判断下してるけどさ

    • キジトラさん
    • 2014年 7月 04日

    運用によって法が変わる具体例を作った偉業。
    立法府無き文治主義社会は実現可能だと世界に示した偉業。

    教科書が熱くなるなぁ。

    • キジトラさん
    • 2014年 7月 07日

    >市民に法学の基礎的素養を教育・浸透させるって方が重要だし
    ここ、同感です
    でも。こっちは積極的にやりそうもない感じ
    そもそも司法制度改革こそ誰得な改革でしたわ
    とほほのほ

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