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「信教の自由」を「法的に」考える

パリのテロがあってから、欧州内での反イスラムの空気はますます高まっています。モスクが襲撃される例もあり、殺伐とした空気が感じられます。果たして、脅かされつつある「信教の自由」とはどんなものなのか法的に考えてみましょう。



 

情報整理

新年早々、私たちを驚愕させたパリ新聞社襲撃事件、そしてスーパー立てこもり事件。いまだに解決にいたっていない中、新聞社は、テロに、屈しないというメッセージをこめて風刺画が印刷された新聞を発行することに決めました。

 

発行された新聞は、フランスでは各地で販売され表現の自由を訴える人々が購入しようと長い列を作りました。風刺画には、ムハンマドが泣いている姿が描かれています。

 

イスラム教徒の反応は、決していいものではありませんでした。あの事件以来、フランスでは反イスラム思想が進み。1000件以上のイスラム教徒に対する嫌がらせや脅迫などが起きています。

 

問題となっていること

それは今回の事件で、反イスラム思想がより一層強くなっていること。それによる嫌がらせや襲撃は、「信教の自由」に反するのではないか。

 

現行法ではどんな解決策があるだろうか。

まず、フランスと日本での大きな違いは移民や難民の数です。我が国は、先進国である中で1番といってもいいほど移民や難民の受け入れを拒否している国です。

 

逆に最も受け入れているのはアメリカやヨーロッパ諸国があげられます。話を戻します。憲法21条により「表現の自由」は保障されており、以前にも述べたように人間にとって重要な権利であります。

 

では、「信教の自由」はどうなのでしょうか。信教の自由は20条1項前段、2項により保障されています。保障の意義は、個人の価値観の根源であり、個人の人格そのものをなす信教の自由を保障することにより個人の尊厳を確保するというものです。

 

信教の自由の内容は3つあります。①信仰の自由、②宗教的行為の自由、③宗教的結社の自由の3つです。保障の限界については、内心の信仰に関する限り、19条の場合と同様に絶対保障されます。信仰の表現としてなされた特定の行為が他者の人権と衝突する場合には一定の制約に服します。

 

もっとも、その場合であっても、当該行為のもたらす害悪ではなく、そのよってたつ信仰それ自体を悪として、当該行為を処罰・規制するときは、本条に違反します。

 

信仰の表現としてなされた特定の行為の制約については、その性質上、表現の自由と同じ厳格な審査基準が適用されます。この厳格の審査基準というのは、目的と手段から考察し具体的には、必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段の有無で判断されます。

 

嫌がらせや襲撃に関しては明らかに「信教の自由」を反するといえます。上述で、信教の自由の内容が3つあると述べましたが、そのすべてを侵害しているということができるでしょう。

 

信仰の自由については、イスラム教徒への憎悪が深まることで信仰を実質的に制約しているといえるでしょう。宗教的行為については、イスラム教徒は、断食をする行為やスカーフを身につける習慣があります。

 

嫌がらせや襲撃などが激しくなることで、イスラム教徒であることがわかると何かされるのではないかという恐怖や不安が生まれ、結果として宗教的行為を制限することとなります。宗教的結社については、モスクが挙げられます。モスクを行う場所が襲撃されるなど、これは明らかに宗教的結社を制限しています。

 

まず、制限するにあたっての目的は、イスラム教徒への憎悪などが挙げられますが、この目的は決して正当なものではありません。そして、手段の点においては暴力を手段としており決して適法な手段で行っていると到底いえません。したがって、襲撃や嫌がらせは信教の自由に反し、違法といえます。

 

まとめ

改めて法的観点から見てみるといかがでしょう、少し違った視点が持てたのではないでしょうか。とはいえ、結論は基本的に穏当なもの。しかしながら、「ある結論に辿り着くための複数のロジック」を理解した上で意見を持つことは、とても重要なことです。

 

一つの見解ではなく、複数の見解や考え方に照らし合わせても同じ結論が導き出されることで、その結論の正当性ないし整合性が得られるというものです。そのためにもたくさんの視点を自分の中で持ちたいものですね。

 

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コメント

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  • コメント (3)
    • 2015年 1月 24日

    憲法の私人間効力に触れなくて良いのでしょうか?
    触れなければこの議論は、全くの空洞であり、恣意的な記事になってしまうと思うのですが

    • キジトラさん
    • 2015年 1月 24日

    >それは今回の事件で、反イスラム思想がより一層強くなっていること。それによる嫌がらせや襲撃は、「信教の自由」に反するのではないか。

    何言ってるんですか?信教の自由は守られています。
    嫌がらせするのもまた自由ってことです。
    襲撃は法的に措置をとればいい。何も問題はありません。

    >嫌がらせや襲撃に関しては明らかに「信教の自由」を反するといえます。上述で、信教の自由の内容が3つあると述べましたが、そのすべてを侵害しているということができるでしょう。

    いや自由は認めてるじゃん。三つともさ。
    侵害なんてしてないよ。
    その程度でイヤになるなら信教してないんじゃないですか?

    >嫌がらせや襲撃などが激しくなることで、イスラム教徒であることがわかると何かされるのではないかという恐怖や不安が生まれ、結果として宗教的行為を制限することとなります。宗教的結社については、モスクが挙げられます。モスクを行う場所が襲撃されるなど、これは明らかに宗教的結社を制限しています。

    あのね。放置国家なんです。
    何かされるかわからないって事で止めるのならその程度の信心ってことでしょ?
    襲撃されるって別にイスラム国がなくても起きることです。
    法治国家は法に合わせて処罰するだけです。
    襲撃する奴がいる事が信教の自由を奪っているとは言えない。
    それは甘えです。

    >まず、制限するにあたっての目的は、イスラム教徒への憎悪などが挙げられますが、この目的は決して正当なものではありません。そして、手段の点においては暴力を手段としており決して適法な手段で行っていると到底いえません。したがって、襲撃や嫌がらせは信教の自由に反し、違法といえます。

    そう。だから法で裁けばいいわけで、何でそれが信教の自由を奪ってることになるの?

    >一つの見解ではなく、複数の見解や考え方に照らし合わせても同じ結論が導き出されることで、その結論の正当性ないし整合性が得られるというものです。そのためにもたくさんの視点を自分の中で持ちたいものですね。

    あなたの意見とそがひとつの見解に基づくもの、と思ったほうがいいです。
    自由とは何か?法とは何か?信教とは何か?
    これらを俯瞰できなければ解答は浮かびません。

    信教の自由があるということは責任がついてくるということ。
    その責任とはイスラムに対する批判があれば受け止めるということ。
    間違いがあれば正しいことを社会に訴えるということ。
    それらが全部ひっくるめて自由なんですよ。

    自由って生ぬるいものじゃないんです。
    自由を手に入れた時から生死をかける。それだけの覚悟は必要なんです。
    今は法で治められているからそこまでの覚悟は必要ない。
    法で裁いてくれるからね。
    でもある程度の責任は絶対について回るんです。
    それを回避するようなら、それは自由ではない。
    ただの甘えです。わかりますか?あなたは根本を勘違いしている。

    ザイニチ朝鮮人だって自由があります。
    でも、それを批判するのもまた自由。
    ザイニチ側の理屈で言論を弾圧するような事が”自由がない”ということなんです。

    ちょっと難しいですかね?

    • キジトラさん
    • 2015年 1月 24日

    信教の自由が法の歴史でどういう立ち位置かの理解が足りてない
    法治主義と正義の法の違いも知らないっぽい
    憲法違反というフレーズもいい感じにバカで正直時間の無駄でした

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