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SNS上のじぶんと本当のじぶん

オタク精神科医ブロガー・シロクマさんの記事

オタク精神科医ブロガー・シロクマさんこと「熊代亨」氏の記事が好き過ぎるww氏は、精神科医らしく、自己の内面について深い洞察のある記事を書いていて、毎回唸らされます。

 

今回は、「自己表現の手段と場が増えたときに、人間は等身大の自分を見失うのか」、「見失わないためにはどうすればいいのか」というテーマについての記事を書いておられました。



自己イメージと等身大の自分

SNSやブログなどをやっていると、「自分」の在り方について考えさせられます。仕事として記事・文章を書いていると、ときどき「自分らしくない」「自分なら主張しないような意見」を書くことも多々あります。フリーライターじゃなくても、そういう場面に遭遇することは多いんじゃないでしょうか。

 

シロクマ氏は、「こうでありたい自己イメージ」と「等身大の自分自身」とを区別し、そのうえで、通常は両者を「どこかでつながっている」と表現しています。キャラやペルソナにも、記憶の一貫性があって、「自分らしさ」が滲み出してきている。どのキャラ(ペルソナ)でも滲み出してくるものが、「本当の自分」なんじゃないか、と。

 

私は結構根暗

なるほど言わんとすることはなんとなく分かります。わたしの場合には、本当の自分ってのは「自虐的」な側面を持っているようです。何かの例えで自分の体験を書く際には、結構失敗談などを紹介することが多い。人を虐げる他虐的な文章よりも、自分をちょっと貶める文章の方が好み。ネクラですなw

 

SNSでネカマ垢を作ったことなどもありますが、その際にもちょっと弱気な感じになりますねぇ。自分が女性だったら、こんな感じなのかなぁ、などと思ったり…(まったく魅力的ではない…)

 

場や集団(クラスタ)によって、キャラを使い分けることが割と多いんですが、一度フェイスブックで複数の集団の前に自分をさらしたことがあります。その際には、複数の人格が統合されるような不思議な感覚に陥ったことがあります(どうにもフェイスブックはリア充くさくてすぐにやめてしまいましたが…)。

 

たぶん、これがシロクマさんが言う最大公約数的な意味での「本当の自分」なんじゃないかなぁ。

 

環境を変えると違う自分が現れてくる

自分ってなんだろうって思ったら、思い切って違うクラスタ同士の会合を設けてみるといいかもしれない。新しいペルソナが作り出されるだろうけど、どこかに共通項があるなぁって感覚を得られるはず。独りで自分探しの旅(笑)に出るよりも効果的だと思うw

 

※自分探しの旅は大好きでよく一人旅に出ます…

 

記事引用

都市化やインターネットの普及によって、自分自身を表現するための手段や場所が増えてきた。会社ではAという顔をして、趣味の集まりではBというキャラを立て、ボランティアではCというペルソナを被る――そういう社会適応がやりやすい時代になった。

 

 もちろんこれは、“人間は場面それぞれによって、AなりBなりCなりといった表現のバリエーションを使い分けなければならなくなった”ことと表裏一体のことだ。場面ごとに態度やキャラを使い分ける自由とは、場面ごとに態度やキャラを使い分けなければならない義務でもあった。なんら修飾しないまま、等身大の自分的なものをそのまま押し通せる人は、それほど多くは無い。キャラやペルソナの使い分けは病的なものではなく、ごく一般的な現代人の処世術、適応形態と呼んで差し支え無い。

 

 そんな社会からの要請に応じるように、「演じることに疲れた私」的な言説が登場する。インターネットやSNSが登場する以前から、「演じることに疲れた私」は多く語られてきた。「周囲から期待されている自分」を演じることに疲れて「本来こうでありたい自分」や「等身大の自分」が疎外されている、という例のパターンだ。

 

 では、キャラやペルソナを使い分けると、どうにも疎外されるしかないのか?そうでもないと思う。疎外を強調する人は、なるほど「周囲から期待されている自分」と「本来こうでありたい自分」のギャップが大きくてフラストレーションが大きいからこそ、そのように強調するかもしれない。だが、それほど疎外を感じていない大勢においては、「周囲から期待されている自分」と「本来こうでありたい自分」には、なにかしら連続性があり、一定の妥協が成立しているようににみえる。つまり、うまくやっている大勢の場合は、「周囲から期待されている自分」と「本来こうでありたい自分」は水と油のような関係ではなく、どこかで意外と繋がっている。

 

 でもって、もし「等身大の自分」なるものを想定するとしたら、まさにそうしたキャラやペルソナの連続性の総体を指したものなんだと私は思う。場面ごとに違った性質を帯びたキャラやペルソナのひとつひとつをニセモノの自分だと考えるのではなく、どのキャラやペルソナも自分自身の一部であり、そうした一部一部の連続性を記憶というかたちで束ね持っている主体こそが等身大の自分だと考えたほうが、事実に即している。強いられて演技しているキャラも、わざと被っているつもりのペルソナも、自分自身の記憶のもとに残り、おそらく後の自分にも影響を与え続けるという意味においては自分自身の一部だ*1。それらは「本来こうでありたい自分」ではないかもしれないが「等身大の自分」の構成素子の一部と考えなければならない。少なくとも「自分じゃない」などと言ってもはじまらない。

 

 例えば、人格と記憶の一部を切り離し、悪を為すペルソナを「偽者の自分」などと呼ぶ行為も、記憶の連続性・記憶の同一性を保持している限りにおいて間違っている。そうやって悪を為すペルソナを「偽者の自分」と呼びながら実行している行為そのものも含めて「等身大の自分」が構成されていると考えるべきだ。

 

 もし、こうした論法に例外があるとするなら、記憶の連続性や同一性を失って、キャラやペルソナが一個人のなかで解離を起こした状態がそれにあたる。だが一般に、症候としての解離は社会適応上の重大な障害となるため、一般社会適応を考える際には視野に入れる必要は無い。

 

 だから、facebookやtwitterやLINEが普及しようとも、個人の活動領域が複数化しようとも、そこで営まれるひとつひとつのキャラやペルソナに記憶の連続性や同一性が保持されている限りにおいて、「等身大の自分」を見失う心配などしなくても構わないし、また、特定のキャラやペルソナだけを「等身大の自分」として特別扱いしてはいけないのだろう、と思う。浮かない顔をしている自分もまた、自分自身なのだ。偽物扱いしてはいけない。

 

 ただし、ひとつひとつのキャラやペルソナがあまりにも異なった性質を帯びている場合――それこそジキルとハイドのような――には、統合した人格としての辻褄が合わせにくくなり、耐えられない疎外になりえるかもしれない。なので、キャラやペルソナのそれぞれに、いかにも自分ならやりそうな兆候を染み込ませておいたほうが、キャラ管理・ペルソナ管理はやりやすいんじゃないかとは思う。まあ、ごく一般的な人格においては、意図するまでもなく自分自身のテイストがキャラやペルソナに染み込んでくれるので、こういう心配をする必要は無いし、そうした、どのキャラやペルソナにも染み込んでやまない自分っぽさこそが、最大公約数的な意味において3.「本当の自分」と呼べる特徴かもしれない。いついかなる時も、自分の行いと記憶にまとわりつくもの。どんなキャラやペルソナを被っている時も一貫しているもの。隠しきれないもの。逃れることのできないもの。それこそが本当の自分と呼ぶに足る特徴ではないか。

 

 もし、未来の人間が記憶の連続性と同一性を失っていくとしたら、こうした定義づけは無意味になるかもしれない。だが、今のところ、人間は記憶の連続性と同一性を失ってはいないし、万が一にも失った者は重大な社会不適応を呈しているので、この考え方でだいたい合っているのではないかと思う。

 

via: キャラとペルソナ、「本当の自分」、記憶の一貫性 – シロクマの屑籠

 

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コメント

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  • コメント (4)
    •  
    • 2014年 12月 02日

    流石、通名を使い分ける管理人の反応しそうな記事だ(笑)

    慰安婦像のデタラメ反論に対する意見に何も言えない管理人(笑)

    嘘吐きは何しても信用されず、正しい者は真実が知られれば自然に指示されるんですなぁ(笑)

    分かってんのか?(笑)

    • 2014年 12月 03日

    男が「万引」の犯行現場に乗り付けた車、そしてこの男は生活保護受給者…。
    男の愛車は、万引と生活保護という2つの言葉とは
    縁遠い存在のドイツの高級車「ポルシェ」だったのだ。

    兵庫県警長田署に窃盗容疑で逮捕、起訴された男は、
    韓国籍で神戸市長田区の無職、朴永錦被告(49)。

    さらに交通事故で1千万円超の保険金を受け取ったにもかかわらず、
    生活保護費を不正受給していたことも判明し、詐欺容疑で再逮捕された。

    拡散してくれ

    在日は共存できるはず急げばカ管理人

    • つまんね
    • 2014年 12月 03日

    つまんねー記事

    • キジトラさん
    • 2014年 12月 03日

    なお、なりすましとペルソナでは診断名がはっきり違うので注意が必要
    前者は統合失調など、後者はユングのいう普遍性
    この記事でふれてるのも後者の普遍性のなかの自己

    使い分ける仮面の中にもし社会的に対立する仮面が含まれてるなら、はっきり社会不適合者と診断される
    己の心に問いかければ一発でわかるだろう?

    茂木とかいうエセ科学者がなりすましを若気の至りで養護してたけど
    社会的にも精神病理上もとても正当化出来る行為ではない
    自分のパーソナリティに対立するような、なりすましや嘘つきは踏み越えてはいけない一線

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