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自民党の高村正彦副総裁の「砂川事件」最高裁判決を引用した集団的自衛権行使容認論に各方面から批判 

安倍政権の解釈改憲に各方面から批判が

集団的自衛権を解釈改憲で認めるべきかどうか…安倍政権が積極的な動きをみせるなか、憲法学者や公明党、元自民党大臣などが批判の声を高めています。

 

自民党の村上誠一郎元行革担当相は、岩波書店の月刊誌「世界」で「ナチスと同じ愚を繰り返す危険がある」と指摘。憲法解釈の変更によって集団的自衛権を認めて、自衛隊法を改正するという方針が、法治主義・立憲主義に反する、との主張です。

 

産経新聞:「ナチスと同じ愚」 元自民党大臣が集団的自衛権で首相を批判から引用

 

自民党の村上誠一郎元行政改革担当相がこのほど発売された月刊誌「世界」(岩波書店)のインタビューで、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相の政治姿勢を厳しく批判した。ナチス政権が全権委任法によりワイマール憲法を形骸化させた歴史を引き合いに「同じ愚を繰り返す危険性がある」と指摘した。

 

 解釈変更した上で自衛隊法などを改正するとの安倍政権の方針に関し「下位の法律によって上位の憲法の解釈を変えるのは絶対にやってはいけない『禁じ手』だ」と非難し、違憲訴訟が続発すると警告した。

 

 同時に「政治家が守らなければいけない三権分立や立憲主義の基本を無視し、壊す危険性がある。もはやファシズムの危機だ」と非難した。平和外交によって戦争を防ぐ努力が必要とした上で「首相は集団的自衛権や『武器輸出三原則の撤廃』だとか(近隣諸国の神経を)逆なですることばかりに力を注いでいる」との見方も示した。





集団的自衛権を認めたいのなら、解釈改憲ではなく堂々と憲法改正をするべき

わたし自身は、「9条で集団的自衛権まで明確に否定はされていない」という立場を採りたいのですが…これまで歴代政権が踏襲してきた憲法解釈をすんなり変えてしまおうっていう動きには反対です。集団的自衛権を認めたいのなら、やはり改憲が必要なんだろうと思っています。 憲法学者などが反対しているのも、解釈改憲で重要な事項を変えてしまうという点について。

 

安倍政権は、96条を改正するか否かという話でごまかすのではなく、正面から9条を改正すべきかどうかを世に問うて国民の共通見解を形成し、堂々と改憲していくべきなのではないでしょうか。 (集団的自衛権自体は、固有の国家の権利として認められると思っていますし、9条改正は必要だろうとは思っています。ただ、この話はまた別の機会に…)

 

現行憲法下でも必要最小限度なら集団的自衛権の行使は容認される?

ところで、先日。自民党の高村副総裁が、憲法学会では有名な「砂川事件」の最高裁判決を引用し、「必要最小限度の範囲に限定すれば、現行憲法下でも集団的自衛権の行使は容認される」との認識を示しました。

 

自民党安全保障法制整備推進本部:第1回 集団的自衛権について(高村正彦 副総裁)から引用

 

立憲主義ということがよく言われますが、憲法というのは権力を縛るものである。それだけが目的かどうかということはともかくとして、どんなに時代が変わっても、権力を縛るという重要な側面があるということは変わらないのだろうと思っております。

 

そして、日本国憲法は、その立憲主義を制度的に担保するために、三権分立を決めたわけであります。憲法の番人は最高裁判所であるとされております。最高裁判所は自衛権について、1959年の有名な砂川事件判決において、個別的とか集団的とか区別をしないで、自衛権については、国の平和と安全を維持し、国の存立を全うするための措置は当然とり得る。そしてその前提として、固有の権利として自衛権というものは当然持っているとも言っているわけであります。 私の知る限り、この判決が、最高裁が自衛権について述べた唯一無二の判決でありますから、当然この法理に基づいて解釈する。言葉を代えれば、この法理を超えた解釈はできない、この法理の中であればこういうことだとなります。

 

今までの内閣は、この法理に基づいて、色々言っているわけであります。この法理に基づいて、必要最小限度の自衛権はあると言っております。「必要」と「必要最小限度」は随分違うように響きますが、現実にはあまり差はないのだろうと思います。必要な措置をとり得るということの裏を返せば必要な措置以外はとり得ないわけでありますから、必要最小限度といってもそれと大差はないと言ってもいいかと私は思っております。 ただ、必要最小限度の措置といったところで、集団的自衛権はできません、個別的自衛権はできます、というのは大分論理の飛躍があると思います。多分、内閣法制局は、集団的自衛権の行使はできないと言った時に、集団的自衛権の典型的な対応を思い浮かべて言ったのだろうと思います。

 

この点については、公明党から強い批判の声が上がっています。早稲田大学の憲法学者・長谷部恭男氏(3月までは東大教授)も日本記者クラブ会見で反対の声をあげています。

 

 

日本記者クラブ:記者による会見リポートから引用

 

安倍流解釈改憲は「自己破壊的」と警告

研究テーマ:集団的自衛権を考える

 

「憲法原理は国家の生き死にに関わることなので、そうそう変えてはいけない」。最も言いたかったのはここだろう。

 

安倍政権が推し進める集団的自衛権行使容認の問題点を、難解な語り口ながら鋭く批判した。

 

憲法解釈の変更で何が得られるのか。「その時々の政府の判断で憲法解釈が変えられるようになれば、後の政府の判断で元に戻るかもしれない」

 

そうした不安定さを「自己破壊的」と呼び、「政府の憲法解釈全体の将来を危うくしかねない」と警告した。批判は自民党首脳が最高裁の砂川判決をもとに言い出した「限定容認論」にも及ぶ。「素直にみれば、判決は個別的自衛権の話をしたもの」とあっさり切り捨てた。

 

矛先は政権の安全保障政策にも。「自由で民主的な政治体制という普遍的価値を米国と守るのが肝心。日本がナショナリズムにかじを切れば、米国との信頼関係を損なう。何のための集団的自衛権なのか」と疑問を呈した。

 

昨年の国会で特定秘密保護法に賛成の意見を述べた長谷部氏だが、こと安倍流の解釈改憲に関する限り舌鋒は容赦なく、痛快でさえあった。

 

朝日新聞専門記者(防衛問題) 谷田 邦一

 

 

日刊ゲンダイ:集団的自衛権の議論に「砂川判決」を持ち出す三百代言から引用

 

3日から始まった集団的自衛権容認をめぐる与党内協議のキーマンは自民党の高村正彦副総裁で、何とか「限定容認論」でとりまとめようと腐心している。が、その際に高村が、1959年の「砂川判決」を持ち出して、その最高裁判決の中で集団的自衛権が認められていると説得して歩いていることに対しては、与野党のあちこちから疑問の声が上がっている。

 

 砂川事件というのは、米軍立川基地への反対闘争でフェンスを壊して基地内に立ち入った学生7人が、安保条約に伴う刑事特別法違反に問われた裁判で、第1審のいわゆる「伊達判決」は在日米軍の駐留そのものが日本国憲法第9条2項で保持が禁じられている「戦力」に当たり違憲であるとして全員無罪を言い渡した。

 

 ビックリしたのは米国だ。米軍駐留が違憲というのでは、翌年に控えた安保条約改定など吹き飛んでしまうというので、岸内閣に外交圧力をかけただけでなく、駐日大使が直接、田中耕太郎最高裁長官に極秘接触し、伊達判決を急いでひっくり返すよう強要した。それで、田中自身が裁判長を務めて早々に出したのが砂川判決で、要するに在日米軍は日本の「戦力」ではないから駐留は合憲だと断言した。

 

 その意味で、砂川判決は、司法が米日権力に屈服した恥ずべき歴史の記念碑であって、「今どきこんなものを持ち出してくる感覚が常軌を逸している」と某野党議員は怒る。

 

 しかも、その判決には、集団的自衛権が合憲だとはどこにも書いていない。論理の運びとして、(1)我が国が主権国家として固有の自衛権を持つことは憲法で否定されていない、(2)しかし我が国の防衛力は不足なので、それを「平和を愛好する諸国民の公正と信義」を信頼して補うのは当然だ、(3)安保はその諸国民の公正と正義を信頼するひとつの形であるから米軍駐留は合憲である――ということを言っているのであって、この(1)の「固有の自衛権」というところだけを切り出して、そこには個別的のみならず集団的自衛権も「含まれている(はずだ)」と言って歩いているのが高村である。そんなことは何ら裁判の争点となっていないし、議論にすら上っていない。三百代言とはこのことだ。

 

読売新聞などがこれを「高村理論」などと持ち上げるから、法理も歴史も知らず、判決そのものなど読んだこともない自民党のボスたちが「なーんだ、最高裁判決で認められているのか」と思い込まされている。集団的自衛権の議論は迷走の揚げ句、知的退廃の泥沼に填(はま)りつつある。

 

長谷部教授の発言をまとめると…砂川判決は「素直にみれば個別的自衛権の話をしたもの」であって、この判決を引用して集団的自衛権を基礎づけようとするのは間違いだ、といった内容。

 

砂川事件は、「最高裁が自衛隊を合憲と認めた先例」として引用されることもありますが、これについても間違いだという指摘が南野森氏からなされています。

 

ヤフーニュース:現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはないから引用

 

砂川判決というのは、1957(昭和32)年7月、東京都北多摩郡砂川町(現在では東京都立川市)の米軍立川飛行場の拡張計画に反対する住民らが、飛行場内に正当な理由なく立ち入ったため、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」(いわゆる旧安保刑特法)違反の罪で起訴された事件についての判決のことである。第一審の東京地裁判決(裁判長の名字をとって伊達判決とよばれることが多い)が、旧安保条約に基づく駐留米軍を憲法9条2項に違反すると判断したため、検察側が最高裁に跳躍上告した。これに対して下された1959(昭和34)年12月16日の大法廷判決(全文PDFはこちら)が、ここで岡崎氏の言う「最高裁の砂川判決」である(なお、伊達判決と最高裁判決の間の経緯について記した秘密文書がアメリカの国立公文書館で最近になって発見されたことなどについては、水島朝穂「砂川事件最高裁判決の『超高度の政治性』」(今週の直言2013年4月15日)を参照されたい)。

 

「最高裁の砂川判決」は、法廷意見は15人の裁判官の全員一致による判断であったが、田中耕太郎長官を含む10人の裁判官が合計8本の補足意見や意見を執筆しており、全体では4万字を超える非常に長大なものである。ところが、そのなかに「自衛隊」という単語はほんの一度たりとも登場しない。この判決は、自衛隊が違憲かどうかを判断したものではないのである。旧安保条約とそれに基づく駐留米軍の憲法適合性こそが実質的な争点だったからである(そしてこれらの争点についても、砂川判決は、(1)駐留米軍のような「外国の軍隊」は憲法9条2項にいう「戦力」にはあたらないとし、また、(2)旧安保条約は「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であって「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであ」る、としていわゆる「統治行為論」の一種と考えられる立場にたって、「違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない」とは言うものの、さらに進んで詳細に検討すれば合憲なのか違憲なのかについては判断を避けた)。

 

砂川判決が自衛隊の合憲性について判断を下したものでないことは、法学部で憲法の授業を受ければ当然学ぶはずのことがらである。そしてまた、砂川判決のみならず、最高裁判所はその後の判決においても、今日に至るまで、自衛隊が合憲か違憲かについて一切判断していない、ということもまた同様である。市販されている憲法の教科書にもそのことはきちんと書いてある。

 

「判例の射程」

判例を引用する際には、「判例の射程」というものを常に意識しなければなりません。その判例が、どのようなケースについて、どのような判断を下したのか、ということを分析することが非常に大切になってくるわけです。

 

公明党や憲法学者の多くが指摘しているように、高村発言は判例の射程を読み間違えているような気がしてなりません…

 

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コメント

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  • コメント (1)
    • キジトラさん
    • 2014年 4月 11日

    アメリカの利益の為に自衛隊員よ死ねと言われるといい気がしないなぁ
    日本も同じことやってるけど

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