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英紙ガーディアン「科学者が宗教を信じるのは明確な間違いである」

英紙ガーディアンで面白い記事がありました。David Malcolm Connahのコラムで、科学者が宗教を信じるのは有り得ないと強く否定しています。日本ではあまり話題にならないトピックですが、ちょっと取り上げてみましょう。



While I am sure that there are many people working in scientific fields who would claim to be religious, it always seems to me that there really is a basic conflict here, rather than a “misunderstanding” (“Would you Adam and Eve it? Why creation story is at heart of major misunderstanding”, News). How can any ultimately “supernatural” explanation (whatever that means) for a phenomenon ever be a “scientific” answer? At what point can any dedicated scientist investigating a difficult problem decide that there is no scientific answer to it and that it can be explained only as an act of God? How would such results be presented for scientific peer review and in what terms would they be couched? Guardian Today: the headlines, the analysis, the debate – sent direct to you Read more Exactly what “specific steps in the universe’s history must be the direct result of divine intervention” (quote: Rowan Williams – my emphasis)? Isn’t this supernatural view just a resort to mystery? And isn’t it the job of science to defy, examine and explain mystery?

 

The big issue: it’s no mystery – science and religion cannot be reconciled

2040 英紙ガーディアン「科学者が宗教を信じるのは明確な間違いである」

科学と宗教

科学と宗教の関係、日本ではほとんど話題に上がることがありませんよね。これって実は珍しいことだとも言えます。欧米、特にアメリカでは何かしらの宗教の信者である割合が日本と比べて遥かに高いわけですから。

 

そして、日本の神道や仏教と違い、キリスト教は(他の一神教もそうですが)世界を創成したというのが基本的な始まりです。宗教というのは、多くの場合に「世界と人間のあり方」を規定するものとして存在しています。

 

とすると、多くの科学がその神の所業を分析していくことになります。世界に生命が生まれたのは神がそう言ったからではなく、ビッグバンなどの科学的な現象が理由であると解析していくわけです。

 

そのため、宗教者は常に科学を恐れてきました。時には裁判すら行っています。ガリレオ・ガリレイの-創作と言われていますが-「それでも地球は回っている」という言葉は余りにも有名ですよね。当時の宗教観においては、神が作り給うた地球こそが宇宙の中心ですから、その地球が実は太陽の周りを回っているものにすぎないなんてことは許されなかったわけです。

 

そんなわけで、科学と宗教というのは食合せが悪い。どちらかに専念するほかないというのがこのコラムの主張なわけです。

 

科学者と宗教

科学者は宗教を信じてはいけない。なぜなら宗教は色んなものに答えを教えてくれるが、その答えは絶対に科学的ではないからである。そして科学的でない考えを持っている人間は科学者足り得ない、非常にシンプルなロジックのように思えます。

 

しかし、必ずしもそうとは言えない側面があるはずです。人の信念には二種類のものがあるでしょう。科学的な根拠を持ち、これこそ確実に正しいと言える知識に基づく信念。そしてもう一つが、そのような科学的根拠を持たない/持つことが出来ない信念です。

 

考えてみて下さい。もしも科学的なことしか信じること、考える事が出来ない人間がいたとしたら、その人は親切でありえるでしょうか。人に親切にすることが「科学的に正しい」かどうかの答えを、科学は持ちえません。科学はいつも、事実を記述してくれますが「あるべき姿」を教えてくれはしません。

 

人が生きる指針、自分がどのように生きるべきか、他者とどのように関わるべきか、といった「べき」について科学は記述不可能なのです。そして、案外そのようなことが人生においてはとても大事なものであることを私たちは知っているはずです。

 

べき論の思考を持たない、機械のような科学者というのはほとんどありえない。生きている中で道徳的ななんらかの信念を持たざるを得ない。人間が社会的に生きていく限りそうでしょう。ですから、科学者が信心深くても構わない。問題は、科学の議論をしている時に神を持ちだすことでしょう。科学的な議論の時には、科学的に。それが科学者の最低限の嗜みと言えるでしょう。





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