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底辺女子に自己責任論は通じない

底辺女子

最近、「底辺女子の生態」についての本を良く見かけるような気がします。新潮新書の「日本の風俗嬢」(中村淳彦著)や、幻冬舎新書の「最貧困女子」(鈴木大介著)など。両方とも見かけて気になってはいるけど、まだ買っていません…。

 

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で、ブロゴスで「最貧困女子」についての書評をみかけたのでピックアップ。「家族・地域・制度、3つの無縁」が原因で、風俗産業に埋没してしまっている「最貧困女子」を支援するためにはどうすればいいのでしょうか?



底辺女子

左翼を自称する「紙屋高雪」氏(…書評の中で6回も「左翼であるぼく」と強調していますw)は、セーフティネットがうまく機能していない現状を認め、具体策について模索していました。左翼の有志で場所を準備して提供するってのが必要云々…公的な制度だけではアプローチをかけられないから、民間NPOなどで場所・サービスを作って手を差し伸べる。JKビジネスに陥る少女たちを支援している仁藤夢乃氏に近い考え方ですね。

 

 底辺女子に自己責任論は通じない 「女子高生サポートセンターColabo」風俗、キャバクラ…JK産業にエサにされる女子高生を援助する市民団体 | キジトラ速報

 

自己責任ではない

ただ、実際にはこのような策だけでは、最貧困女子は救えないようです。紙屋高雪氏の書評だけではピンと来ませんでしたが、別の書評(※)によると、最貧困女子になってしまう女子の中には、「精神障害・発達障害・知的障害」の女子も多いそうです。支援者がゲストハウスや生活保護などの「制度」を紹介しても、その制度の意味すら理解できない。

 

こういう女子たちに対しては、「自己責任論」すら通用しないんですよねぇ。民間のサポートだけでは手におえないレベルかもしれない。

 

累犯受刑者の更生保護

やっぱり「公」の力も必要だと思います。参考になるかもしれないなぁと思ったのが、「累犯受刑者の更生保護」の現場の考え。

 

西日本新聞社の「ルポ・罪と更生」では、精神障害・知的障害などが原因で罪を何度も重ねているような人たちをどのように支援するのかってことが書かれていました。

 

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累犯受刑者の場合には、罪を犯して刑務所に行ってからサポート開始となるので比較的問題を把握しやすい。でも、最貧困女子は、そうもいかない…どうやって補足・把握していくのか一番の問題となるなぁ…。

 

最貧困女子の話で、ちょっと思い出したのが宮沢大臣のSMバー問題で、衆議院議員・菊田真紀子氏の「口にするのも汚らわしい」発言。菊田議員の発言をここでどうこう言うつもりはありませんが、そういう「穢れ」の発想が行政・公的サービスと最貧困女子との間に溝を作っている気がするんだよなぁ…。

 

記事引用

この本はとても「自己責任」論を強く意識している。最貧困に落ちてしまう女性たちを「結局努力しないお前が悪い」という非難がいたるところで待ち受けているからだ。

 「貧困女子と最貧困女子の違いは?」という節が本書にあるが、誰もが即時救済すべき対象だとみる女性と、「売春」や「離婚によるシングル化」という属性がつくことで「自己責任でそうなった人」という扱いをうける女性とが比較される。後者は不可視化される。つまり貧困議論からはずされ、見えなくさせられるというわけだ。

 たとえば、月10万円で生活する「プア充」女子の生活。

 彼女は、地元の友だちのネットワークをたくみにいかし、「シェア」をする。そして、自身の周囲にとりまいている「デフレ包囲網」、安くて節約しまくれる商品やサービスを知っているし、友だちの情報網の中からやはり探し出してくる。そういう自分のまわりのつながりや資源をフル活用できる地元=地方都市で充実ともいうべき生活を送っている。こうしたつながりのない都会に出ていくことのほうが「負け」なのである。

 お金はなくともそのようなネットーワークや資源をもっている人たちが「貧困」ではない、と頭では知っていたし、うすうす実例も知っていたが、鈴木の本書はそれを活写している。

 ガストじゃなくて、ホームセンターのフードコートこそ、安く粘れる! と自慢げに話す女性の細部をリアルに描き出すことで、「プア充」の生活力が生き生きと伝わってくる。これぞルポの醍醐味である。

 プア充と最貧困女子を比較し、プア充のようなネットワークや資源を利用できない人が貧困に陥るのだが、それが見えない(可視化されていない)と、貧困に陥った側は「努力が足りない」とたたかれる。とくに、月10万でしっかりやっている人にこそたたかれるのである。

 しかし、このようなプア充と最貧困女子の比較はまだ予想がついた。

 性産業に入っていく女性の中での階層化にはまったく頭がまわらなかった。

 ぼくは左翼であるが、性産業そのものを体験したことがないし、そのなかでどんな女性たちがいて、階層化されているのかについては、まったくイメージできない。

 そうなると、まず、都会に飛び出してきて性産業に入る入口でいかに家出少女たちにとって、魅惑的な私的セーフティネットが用意されているか、ということに想像がいかない。そして、左翼であるぼくが提起しているような行政や制度の用意するセーフティネットが、性産業の用意する私的セーフティネットにくらべていかに使い勝手が悪く、しゃくし定規で、実情に合っていないかもなかなか想起できない。いや…少しは想像していた。制度の利用が悪いもん。

 最近でこそようやく生活保護にはつなげるようになってきたし、この制度も前は本当に現役世代や若い世代には障壁が大きかったが、運動の成果もあって比較的使いやすい制度になってきた。*1

 しかし、それ以外の制度は本当に使いづらいし、わかりにくい。

 さらに、性産業に入ってくる女性たちを3つに分類することによって、いっしょくたに論じてしまいがちな議論を腑わけしている。この行為がとても分析的でロジカルなのだ。

 「地方週一デリヘル嬢」というカテゴリーの風俗嬢たちは、まさに週1回、バイトのように収入の余裕をもたせるために風俗に入ってくる。彼女たちはいつまでも「素人」のように「みずみずしく」(これはぼくの表現)、いわゆる「美人」も多い。そして技術も高い。

 そうなると、知的な障害をかかえていたり、やむにやまれず体を売っているような最貧困女子のような、プロ意識に欠けた、そしてまさにただ肉を売っているだけのずさんな女性(とみなされている人たち)は、性産業の中心部からも排除され、だれも相手にしないような性産業の底辺へと押し込められていく。

 「性技テクも磨かない、生活も工夫しない、自堕落な女」として性産業の別階層からもいっそう激しい「自己責任」論をつきつけられ、不可視化されていく。

 こんな細やかな分析は、ぼくにはできない。性産業のすぐそばにいて、この区分けを感じていなければ、とてもわからないことだ。こうした区分けがない場合、性産業に入っていく女性のイメージがぼくの話すものと、相手の話すものとでまったく違ったものになっている可能性が高い。「地方週一デリヘル嬢」のような女性をイメージした場合、それが自覚的につかみとられた職業であるという印象が強く、また、「貧困」イメージとしても食い違いすぎるので、まったくかみ合わない。そして、性産業のことを大して知りもしないぼくが議論すれば、現実に存在するそのような「地方週一デリヘル嬢」的女性について持ち出されて「別に問題ないのでは?」と言われて終わりそうな気がするのだ。

 しかし、貧困に陥る人たち、あるいは低所得層の周辺をじっくりと見て腑わけをしなければ、分析的に見ることはできず、たちまち「自己責任」論にやられてしまうことになる。

 この本はそのことにとても敏感に、そして説得的につくられている。

 

via: 鈴木大介『最貧困女子』

 

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