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若者の活字離れはウソ?

若者は活字離れしてない?

最近の若者は活字離れしているのではなく、活字に接近している。そのような主張を、元国語教師の黒田麻衣子さんがしていました。

 

「SNSやメールが浸透してきたことによって、口下手な高校生であっても文字言語での議論では饒舌になる」 このようなことを、自らの指導経験に基づいて主張していました。



でも文章力は養えない

なるほど、確かに最近ではSNS・チャット・メールなどで文字言語を多用するようになってきています。しかし、黒田氏の主張には同意できません。 「SNSで饒舌に議論ができたとしても、文章力は養えない」 これは、私が数年前、ライターを始めた際に強く実感したことです。

 

匿名だから

まず、口下手な高校生でもSNSを利用した議論では饒舌だった、という黒田氏の実験結果について反論しておきます。

 

彼らが饒舌になったのは文字コミュニケーションだったからではなく、単に「匿名」だったからに過ぎないでしょう。日本人は、実名SNSではなかなか議論ができなくても、2ちゃんなどの匿名サービスでは饒舌になるんです。口頭での議論だったか、文字での議論だったかは些末な問題に過ぎないはず。もしも実験するのであれば、実名でやってほしかったところ。

 

メールと文章は別

さて、本論に入ります。 メールやチャットでスムーズに話ができるからといって、きちんとした議論・文章執筆ができるわけではありません。

 

女子高生たちは当たり前のようにLINEでコミュニケーションを交わしています。しかし、彼女たちはLINEのスタンプや絵文字・顔文字などを駆使して、「非言語コミュニケーション」を交えてやりとりをしています。スタンプや顔文字を一切使わなかったら、今ほど円滑にはコミュニケーションを図れないでしょう。

 

文章は文字コミュニケーションだけで、色・アク・表情を出さなければなりません。メールやチャットが打てることと、文章が書けることとは別問題なんです。メールで饒舌になるからといって、文章力・国語力が向上しているとは限らない。

 

メールと文章は別

若者が音声から文字へのコミュニケーションに移行しているって主張は、幻想にすぎません。非言語コミュニケーションという要素を完全に無視した意見とすらいえるでしょう。

 

何も最近の若者をDisりたいわけではありません。SNSのコミュニケーションと文字コミュニケーションとは別物だし、文章力・国語力を高めるためには、「メール以外の文章」を実際に書いていくしかないってことをイチライターとして述べておきたかった。

 

記事引用

「児童・生徒の活字離れ」はすでに筆者が高校生の頃から叫ばれていた。読書量が減ったことは、情報源が書籍や新聞からテレビに取って替わったことが原因と分析されていた。

その頃は、いわゆる「低学力」と呼ばれる生徒たちはすべからく、教科書の音読が苦手であった。活字を読み慣れていないから、文字を目で追いながら意味を捉えることが難しかったのだろう。漢字など出てこようものなら、それが小学校で習うはずの文字であっても、読めない高校生がいた。

ところが今、いわゆる「低学力」と呼ばれる生徒層であっても、音読させると、それなりに読みこなす。指導者とそう変わらないスピードで、読むことができる。漢字にしても、昔の生徒よりははるかに読める。

20年前の生徒と今の生徒で、読書量が大幅に変化したわけではない。生徒を取り巻くメディア環境が大きく変化したのだ。

この20年で、高校生の主たる通信ツールは電話からメールへと変わってきた。音声言語から文字言語へ、通信ツールが変化したことにより、生徒は文字に親しむ生活をしている。

おかげで、教科書の音読という、文字を追う学習活動に抵抗感はないらしい。(とはいえ、読解力が向上したわけではない。文字を音声化することと内容を理解して読むことは別の力である。この件についてはこれ以上言及しない)

発言についても、同様だ。日常的にブログやSNSで「自分」を発信している生徒達にとって、文字言語での自己表現には抵抗がないらしい。

数年前、当時、私が勤めていた進学校で、夏目漱石の『こころ』の授業をしたときのことである。重い素材であったこともあいまって、1時間目の教室内はお通夜のような雰囲気であった。

そこで筆者は、模擬SNSサイトを用意して、授業中、生徒全員に自分のケータイを持たせ、指導者の発問に対する意見を、すべてメールで答えさせた。生徒が送信したメールは、ハンドルネームで仮名化されて、全員に共有され、サイト内で意見を交換することもできる。

これは、非常に効果的であった。ふだんは授業で発言をしない生徒達が、長文を投稿し合い、深く議論してくれた。授業中に皆の前で発言することはためらいがあるが、メールによる投稿としたことで、抵抗がなくなり、思ったことをどんどん発信できたのだ。

音声言語で伝えることは苦手だけれど、文字でやり取りすることには、まったく抵抗がない、ということが証明されたと言えるかもしれない。この授業では、クラス内で口べたな生徒であっても、積極的に「発言」していたことからもそれは明らかだった。

若者のコミュニケーション手段は、音声から文字へ、変化しつつある。音声でのコミュニケーションが皆無になるわけではないが、文字言語への依存は確実に高まっている。

 

via: <音声から文字へ変化する若者のコミュニケーション>口ベタな高校生もSNSを利用した文字言語での議論では饒舌

 

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コメント

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  • コメント (4)
    • キジトラさん
    • 2014年 10月 11日

    今回の記事は完全に同意します。私もそのとおりだと思います。

    文法もへったくれもないSNSで活字(=文字)に接近しても全く意味ないです。
    活字って文化なんです。その根本に思想があり文法がある。もちろん語彙もある。
    それらに接しているからこそ活字を学び理解していくんですね。正しく受け取ることができる。

    ネットでうんこみたいな文章(これは私のコメも含めてです)に接したって意味なんてないです。
    まあ、確かにきちんとした文章に接することもできなくはない。
    でも紙の文章は印刷する前にきちんと精査しますから。完全じゃないにせよ信頼できるんです。
    これは出版側の覚悟と同義です。出版社が責任を負ってる。だから責任が明確な分ある程度は信頼してもいい。

    それをこの国語教師は全く理解していないんでしょうね。
    よくいるネットに幻想持つお花畑でしょうか。もしくはリテラシー欠如してるか。

    • キジトラさん
    • 2014年 10月 12日

    若者の感情をストレートに表現できるのは学校で習うようないわゆるきちんとした文法よりもSNSで用いられるような話し言葉に近い現代語だと思います。
    文法的に拙いのでコミュニティの外にいる他人には解りづらい面はありますが当事者たちは細やかな感情の機微を読み取れていると感じます。
    スラング自体排他的な小さいコミュニティ内でしか通じないようにできている物ですから既存の文法とはかけ離れている部分はあると思います。
    しかし独立したコミュニティ内でこそ新たな文化は生まれるものでありますから言葉の乱れと嘆くよりも文化の多様性と寛容な態度で受け止めた方が建設的ではないでしょうか。

    • キジトラさん
    • 2014年 10月 12日

    引用記事を読む限り、文章力が向上するなどとは書かれていないのだが…
    読解力についても「(とはいえ、読解力が向上したわけではない。文字を音声化することと内容を理解して読むことは別の力である。この件についてはこれ以上言及しない)」と書いている。
    昔から文通ってものがあるぐらいなんだから、直接話すよりも文字で伝える方が気分的に楽という面もあると思うけどな。
    ま、正確な文章を書きたいのなら、真面な本を読んだ方がいいことは確かだけどね。

    • キジトラさん
    • 2014年 10月 12日

    横はいりしますね。

    >若者の感情をストレートに表現できるのは学校で習うようないわゆるきちんとした文法よりもSNSで用いられるような話し言葉に近い現代語だと思います。

    話し言葉に誓い現代語はもやは活字とは言えないと思いますよ。
    単語の羅列です。文章ではない。

    >文法的に拙いのでコミュニティの外にいる他人には解りづらい面はありますが当事者たちは細やかな感情の機微を読み取れていると感じます。

    当事者内だけで通用する感情の機微を読み取ることが活字に近くなると言うことですか?
    だったら赤ちゃん言葉も同じですよね。家族内では読み取れてる。その程度の話だと思いますが。

    >スラング自体排他的な小さいコミュニティ内でしか通じないようにできている物ですから既存の文法とはかけ離れている部分はあると思います。

    スラングとは単語であり既存の文法を無視できるものではありません。
    そもそも小さなコミュティでしか通用しない活字に一体どれだけ意味があるのでしょうか?

    >しかし独立したコミュニティ内でこそ新たな文化は生まれるものでありますから言葉の乱れと嘆くよりも文化の多様性と寛容な態度で受け止めた方が建設的ではないでしょうか。

    独立した文化が社会的に認知されるようになれば新たな文化だと言えますが、SNSのうんこみたいな
    文章のどこに一体どのような文化が生まれているのでしょうか?
    是非、具体的にご教授お願いしたいです。

    個人的にはなんJ語というのにはどっぷりハマってます。
    あれは本当に感覚が鋭いというか面白い。ネットをマジにならないで娯楽として扱ってる人間は
    これほど発想力が豊かになるのか、と感心します。
    でも、それを私は活字文化に近くなるなんて思いません。あれは娯楽なんです。活字でもない。
    シャレの通じない人間はネットやらないほうがいいなあ、と本気で思いますよ。

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