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児童養護施設にボールやランドセルを寄付、本当に意味あるの?

ボールやランドセルが届けられ、喜ぶ子どもたち。タイガーマスクという名前で寄付を行っていた人がいたことがニュースになっていましたが、今度はテスラさんやムスカさんという名前の様子。こんなの自己満足だ、現金のほうが良いという意見もよく聞きますが実際のところどうなのでしょうか。



 

 阿波国慈恵院(徳島市福島1)など県内7児童養護施設に25日、宅配便で「テスタ」と名乗る人物からサッカーボールなど3個が贈られた。全国の施設に贈っているとみられ、受け取った児童らは感謝している。
 
 慈恵院に宅配便が届いたのは午前9時半ごろ。送り主は大阪市に支店があるスポーツ用品メーカーで、テスタを名乗る人物から発送依頼を受けたという。
 
 箱の中には、サッカーボール、バレーボール、ドッジボール各1個と「日本中に支援の輪が広がることを祈り全国に送らせていただきます テスタ」と書かれた手紙があった。メーカーも数は明らかにしていないが、「依頼を受けて各都道府県に送っている」と話しており、県外の施設にもボールが届いているとみられる。
 
 慈恵院には、24日夜にもアニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場する「ムスカ」を名乗る人物からランドセル4個とアニメ映画のDVD1枚が届けられた。20日に来年小学校に入学する子どもの人数を尋ねる電話があり、職員が4人と答えていた。ランドセルと一緒に玄関に置かれていた手紙には「君たちに最高のランドセルを見せてあげよう」などと書かれていた。

【写真説明】阿波国慈恵院に贈られたランドセル、ボールとDVD=徳島市福島1

via: サッカーボールやランドセル届く 県内の児童養護施設、児童ら感謝【徳島ニュース】- 徳島新聞社

 

児童養護施設って

まずは改めて、児童養護施設とはどんな施設なのかを紹介するところから始めましょう。児童養護施設というのは、もともと「孤児院」と呼ばれていた施設が母体となっています。孤児院自体は戦争によって親を失った子どもたちのために作られたものでした。

 

しかし、最近では虐待や経済的理由によって親と暮らせない子どもたちが多く入所していることもあり、事情は大きく変わってきました。そのため名前が変わった側面もあるでしょう。

 

「親がいないから」施設にいた子どもたちが、次第に「親がいるのに」施設に入るようになり、「親がいるから」施設に入るというように、その役割が変わってきたのですね。ちなみに入所児童の年齢は基本的に3〜18歳くらいです。それより小さい子には「乳児院」という別の組織があります。

 

勘の鋭い人はわかるかと思いますが、この18歳を超えたら基本的に出ていかなければいけないシステムも大変問題視されており、今度機会のある時に記事を書こうと思います。

 

受け取る側のニーズ

最近ではやはり社会保障費の増加と不景気のあおりを受けて、十分な予算が下りないことも多々あります。また、施設の職員が少ないことによって一人の職員が見る子どもが15人にも及ぶこともあります。

 

そのような状態ですから、寄付はなんでもありがたい、というとそんなことはないようです。これは東日本大震災の時にも問題になったようですが、「ボロボロになった古着」や「使い古しの靴」といったものが贈られてくることもあるというのです。

 

職員さんによると、「ゴミ箱じゃないんだぞ」という気持ちになる方も多いんだとか。箱が届いたら開けて、中身がゴミだったら処分するのは職員さんなわけなので、寄付どころか大きな負担になっているわけですね。

 

また、せっかく送ってもらった服などであってもその服を着る年齢の子がいなかったり、そもそも趣味が合わなかったり(厳しい言い方ですが、子どもにも選びたい気持ちがあるので)と、せっかくもらったのに売却しなくてはいけないケースもあるようです。

 

もらう側も、せっかくいただいたものを売るなんて申し訳ないと思いつつ、しかしその手間をかけるくらいだったら最初から現金をもらう方が余程効率的だったり…贈る側も相手のニーズをきちんと把握しないと、せっかくの気持ちが台無しになってしまいます。

 

記事を見てみると…

さて、そういった視点から見てみると今回の寄付はどうでしょうか。ランドセルを寄付している方は事前に「小学校に上がる子は何人いるか」ときちんと聞いたり、あるいは「サッカーボール、バレーボール、ドッジボールを各一個ずつ」という相手のニーズに柔軟に対応できそうな形での寄付ですね。

 

これらは贈る側の一方的な気持ちではなく、受け取る側のニーズにきちんと真摯に向き合っているという点で悪くない寄付といえるでしょう。現金のほうがいいのではないかという考えもあると思いますが、これは目的とニーズに合わせたものを贈っているので貨幣の価値交換性を考慮に入れても、そんなに非効率的な方法ではないと思います。

 

でも、名前付きの寄付か…

たった一つだけ、この手の寄付に難しい問題がつきまとうことがあります。それは、「与える側ー受け取る側」というポジションの再確認を生み出してしまうという点です。贈与、というタームにはこのような意味が常についてまわります。

 

すなわち、普通の家の子どもは「見知らぬ人からものをもらわない」のに、「なぜ僕たちはもらえるのか」。小さいうちは嬉しがるでしょうが、次第に「かわいそうだからもらえるのだ」という価値観を持ってしまうこともあるでしょう。

 

もちろん、同時に「世界には優しさが存在している」「誰もが自分たちを傷つけるわけではない」というメッセージをそれらから感じる子もいることは忘れてはいけません。

 

これは発展途上国なんかでも同じ問題があるのですが、一番いい方法は「匿名性を高める」ことでしょうね。児童養護施設の場合ですと、そもそも「寄付」で手に入れたことを言わないということです。

 

施設側はもちろんどんな人から受け取ったものなのかはできるだけ把握したほうがいいですが、子どもたちがそれを知る可能性は必ずしもないかもしれません。とはいえ、他者の親切を感じること自体が成長につながる面もありつつ、難しいですね。

 

まとめ

寄付に対して、常に「自己満足じゃないか」という視点が入ってくるのは仕方がありません。なぜなら、おそらく自己満足という側面が意識的であれ無意識的であれ存在しているからです。

 

しかしながら、その「自己満足である」ということは、必ずしもその行為の意味を貶めたりはしません。目的が施設への援助かつ子どもたちの幸せであれば、それが満たされればよいのですから。(また、手段の重要性もありますが、この場合ニーズを満たすような寄付であることが前提)

 

物じゃなくて現金のほうがいいではないか、というのは一万円の寄付よりも二万円の寄付のほうがいいじゃないかと言っていることに近いです。確実に相手のニーズに合ったものを贈るのであれば、それは程度問題にすぎません。(なんなら施設側が欲しいものリストを作るのもいいかもしれませんね)

 

カントは人に物を贈る時、「自分が相手に渡したいもの」を渡すことは自己満足に過ぎないと言いました。つまり、「相手が本当に欲しいもの」を渡すべきなのだと。ゲームが欲しい子どもに、百科事典を渡すことは自己満足でしかないのだと。

 

このような観点から見ると、必ずしも「現金ではなく物を寄付すること」が自己満足であるとは言えません。(寄付したものが相手にとって必要なものなら) また、現金のほうがより良いというのも、程度問題でしかありません。(同上)

 

なにより、たとえ自己満足であっても、それがその行為を必ずしも貶めることではないことを最後に確認しておきましょう。相手が喜ぶものを渡すことは、単なる自己満足を超えて価値あることなのですから。

 

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