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幸せになる勇気要約&ネタバレ!名言をまとめて紹介!

幸せになる勇気要約&ネタバレ!名言をまとめて紹介!
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『幸せになる勇気』とは、アルフレッド・アドラーが提唱するアドラー心理学の中で説かれる考え方の1つです。

「幸せ」は人間なら誰もが望むこと。

しかしながら、世界を見渡してみれば未だ戦争や貧困に苦しめられ、死と隣り合わせに生きている人びとがいます。

また、私たちの身近な生活においても、日々を生きていくだけでも精一杯という状況の中で「幸せなんてとても感じられない」という方も多いのが現実ではないでしょうか。

閉塞感に満ちたこの時代、「幸せ」がまるで悪いことであるかのような風潮さえあります。

本当の「幸せ」とは、どういうことか。

どうすれば、人は「幸せ」に生きることができるのか。

そのヒントを探す手助けになればと思い、今回『幸せになる勇気』を取り上げました。

要約や名言を、ネタバレしつつまとめていきますね。

目次

『幸せになる勇気』の概要と要約

まずは、『幸せになる勇気』の概要と要約について。

『幸せになる勇気』は『嫌われる勇気』の続編となります。

本作でのアドラー心理学の解説は、前作同様に青年と哲人の一対一の対話形式。

前作『嫌われる勇気』でアドラー心理学の考え方に目を開かれた青年は教育者としての道を歩み始め、教育現場で実際にアドラー心理学の実践を試みようとします。

しかし、青年は教育に携わる中で、アドラー心理学には限界があるのではと感じ始めました。

そこで再び哲人のもとを訪れた青年。

アドラー心理学に出会い、感銘を受けたからこそその教えのままに実践を重ねてきたという青年に対し、哲人はいいます。

アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています。
 ―中略―
もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

そして哲人は、アドラーを本当に理解するためには「愛」を選択することが必要であると説きます。

納得がいかない青年はアドラー心理学を論破すべく、そしてまた自身の教育者としての選択に意味を与えるべく、再び哲人と一対一の対話を始めるのでした。

第一部 悪いあの人、かわいそうなわたし

第一部のテーマは、「尊敬」と「共感」。

生徒たち、特に問題児との向き合い方について持論を述べる青年に対し、哲人はまず青年自身がどんな生徒も「尊敬」するところから始まると伝えます。

ここでの「尊敬」とは、「ありのままのその人を認める」こと。

そして、もしも自分が相手と同じ種類の心、同じ種類の人生を持っていたらきっと自分もそうするだろうと想像を巡らす「共感」こそが、生徒たちと向き合うカギになるといいます。

これは教育現場に限らず、どの対人関係でも基本になる考え方。

子どもなんて尊敬できないとか、子どもの興味関心は下劣なものばかりだとか、そういった態度で接していては生徒たちの心が開かれるはずもないと哲人は断言しています。

第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか

第二部では、アドラー心理学が「賞罰」を否定する理由について、人間が起こす問題行動の目的の5段階という観点から説明しています。

哲人の話す内容をもとに青年がまとめた言葉を以下に拝借すると、問題行動の目的の5段階とは、

まずは称賛を求め、次に注目されんと躍起になり、それがかなわなければ権力争いを挑み、今度は悪質な復讐に転じる。そして最終的には、己の無能さを誇示する。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

問題行動を起こす生徒を言葉で叱りつけることは「暴力」で支配することと同義であり、そこに「尊敬」や「共感」が生まれることはありません。

これらの目的の原因を突き止めて叱るのではなく、「これからどうするか」を生徒たちと一緒に考えることが教育者がなすべきことであると哲人は述べています。

第三部 競争原理から協力原理へ

第三部では、「ほめること」が及ぼす影響について述べられています。

他者からほめられて悪い気のする人はいません。

しかし、アドラー心理学では、「ほめられること」でしか幸せを感じられない人は、永遠に満たされることのない人生を送ることになると考えます。

これに対し青年は、人間は自分に自信が持てないからこそ他者からほめられるという承認を求めるものだと反論。

自分に自信が持てないのは「普通であることの勇気」が足りていないからだと哲人はいいます。

自分が自分であること、つまり自分はまったく普通の人間なのだということに価値を見出せれば、他者からの承認を求めることもなくなるとアドラー心理学では教えています。

第四部 与えよ、さらば与えられん

第四部では、「信用」と「信頼」の違いについて述べられています。

「信用」とは、条件付きで人を信じること。

対して「信頼」とは、どんな相手であっても無条件に信じること。

第一部で語られた「尊敬」の根底には「信頼」があるとアドラー心理学では教えています。

そして、人から信頼してもらう自分になるためには、まず自分が人を信頼することが大切である、と。

それは教育の現場でも同じで、まずは教師自身が生徒たちを「信頼」すること。

どんな生徒にも無限の可能性があることを信じ、子ども扱いするのではなく1人の人間として接していく中に「尊敬」も生まれると説いています。

第五部 愛する人生を選べ

第五部では、アドラーが説き続けた「他者を愛する技術」について述べられています。

人は、誰かから愛されたら喜びを感じるもの。

しかし、自分が誰かを愛することは、それ以上にむずかしいといいます。

また、アドラーは自分だけの幸福でもなく、他者だけの幸福でもなく、「わたしたちの幸せ」、つまり自分も他者もともに幸福を築き上げることが愛であるとも説いています。

愛という関係にたとえどんな困難や苦しみが立ちはだかったとしても、それを一緒に乗り越えていこうと決意し、その人を愛し続けること。

それこそが「幸せになる勇気」であると結論づけています。

本作『幸せになる勇気』は、以前ご紹介した『嫌われる勇気』の続編にあたります。

『嫌われる勇気』について知りたい方は、こちらの記事もぜひご覧ください。

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『幸せになる勇気』の名言

ここからは、『幸せになる勇気』の名言についてご紹介。

哲人の言葉はどれも示唆に富んでおり、数え上げればキリがありません。

明日からでも、いや今日からでも「自分を変えたい」と思っているあなたにとって響く言葉があれば幸いです。

親子であれ、あるいは会社組織のなかであれ、どのような対人関係でも同じです。まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な人間関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

「教える側」として「教えられる側」の相手を尊敬する、これは簡単なようでいて実はとても難しいことです。

本作における青年のように「子どもなんてとても尊敬できない!」と、子どもというだけで下に見たり、仕事ができない部下や同僚に対して疎ましく思っている、という方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、そうした態度で接していたのでは相手が自分に心を開いてくれるはずもないし、まして尊敬などしてくれるはずもありません。

相手が変わることを求めるのではなく、「まずは自分が変わること」が大事ということを教えられる言葉ですね。

たとえばいま、あなたが人生に思い悩んでいるとしましょう。自分を変えたがっているとしましょう。しかし、自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し、「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。そこまでやってようやく、「あたらしい自分」として生まれ変わるのですから。
では、いくら現状に不満があるとはいえ、「死」を選ぶことができるのか。底の見えない闇に身を投げることができるのか。・・・・・・これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも「このままでいいんだ」と思いたい。そして現状を肯定するための、「このままでいい」材料を探しながら生きることになるのです。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

「変わりたい!」と心では思っていても、なんだかんだで言い訳をして現状に甘んじようとする人間の心理を見事に突いた言葉ですね。

その言い訳としてここで考えつくのは、結局自分が変わっても周囲は何も変わらないのではないかという気持ちや、変わることによって失うものもあるかもしれないことへのリスク、といったところですかね。

結局自分が損をするのは嫌だ、ということなのかもしれません。

しかし、「本気で自分を変えたい!」と本気で思っているのなら、自分が進むべき道は自然と見えてくるのではないでしょうか。

われわれは手品師でもなければ魔法使いでもない。くり返しますが、アドラー心理学に「魔法」はありません。ミステリアスな魔法よりも建設的で科学的な、人間への尊敬に基づく、人間知の心理学。それがアドラー心理学なのです。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

心理学というと、人間の心を理解するための学問というイメージのある方は多いのではないでしょうか。

実際、世の中には少し心理学をかじっただけで、まるで「人の心や行動が手に取るようにわかる」かのようにふるまって相手の行動を支配しようとする人もいますよね。

実際の心理学は、人の心や行動を理解して支配するためのものではありません。

アドラー心理学は「対人関係」に重点を置いた考え方であり、少しでも日々を生きやすくなるためのヒントが隠されています。

子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは「自分の人生は、自分で選ぶことができる」という事実を学んでくれるでしょう。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

子どもは親の所有物ではありません。

こう書くと「そんなの当たり前だ」という言葉が返ってきそうですが、この「当たり前」がなかなかできていない大人は、実際のところかなり多いのではないでしょうか。

「子どものやることだから」とバカにしたり、子どものやること1つ1つにいちいち口出ししたりすることで、「子どもを正しく導いてやっているんだ!」という態度が透けて見えます。

子どもはこうした大人の態度には敏感ですから、自分を信頼してくれていないとわかるとたとえ親であっても反発したくなるものです。

「子どもだから」と何でもかんでも口出しするのではなく、子どもなりに考えて生きているということを忘れず、1人の人間として接することが大切なのではないでしょうか。

もちろん子どもたちは、人間として「不完全」なのではありません。ただ、心の成長に、身体が追いついていないだけです。しかしながら、大人たちは身体的な条件だけを見て「子ども扱い」をしてきます。子どもたちの心を見ようとしないのです。劣等感に苦しめられるのは当然でしょう。心は大人と変わらないのに、人間的な価値を認められないのですから。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

子どもは時に大人が「ハッ」とするような発言をしたり、考えを持っていたりします。

経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、こうした態度は逆に大人から見ると「生意気」だの「大人ぶってる」だのなんだの言われ、子どもたちの自尊心を傷つけてしまいます。

先ほど書いたこととも重なりますが、「子どもだから」といって子ども扱いするのではなく、きちんと人格を持った1人の人間として子どもを尊重し、接することが大切なのではないでしょうか。

不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、誰ひとりとして幸せにしません。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

聞く人が聞くと冷たいように感じるかもしれない一文ですが、これは実際その通りかと。

いわゆる「不幸自慢」ばかりしている人は自分が不幸であることに幸せを感じるので、そんな人が誰かを幸せにしたり、窮地から救うことなどできるはずもないですよね。

幸福とは境遇や立場ではなく、自分の心で決まるもの。

たとえ困難な状況にあったとしても、それに言い訳をせずに人生を切り拓いていく人こそ、本当に人を幸せにできる人ではないでしょうか。

なにより危険なのは、なにかが善で、なにかが悪であると中途半端な「正義」を掲げることです。正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、果てには「正義の介入」へと踏み出します。そうした介入の先に待っているのは、自由の奪われた、画一的な灰色の社会でしょう。あなたはどのような仕事に就いてもいいし、他者もまた、どのような仕事に就いてもかまわないのです。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

人間は何かと「善悪」を決めたがる生き物です。

もちろん、考え方は人それぞれだし、誰かの考えに対して賛否両論あるのは当然のこと。

しかし、何をもって「善」とするのか、何が「悪」なのか。

自分の考えだけを基準にして判断することの愚かさがわかる言葉です。

アドラーは、どこまでも実践的な人物でした。フロイトのように、戦争や殺人、また暴力の「原因」を考えるのではなく、「いかにすれば戦争を食い止められるか」を考えたと言ってもいいでしょう。人間は戦争を、殺人や暴力を希求する存在なのか?そんなはずはない。人間が誰しも持っているはずの、他者を仲間だと見なす意識、つまり共同体感覚を育てていけば、争いを防ぐことはできる。そしてわれわれには、それを成し遂げるだけの力があるのだ。・・・・・・アドラーは、人間を信じたのです。
 ―中略―
世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と、仲間になる。そうした日々の、ちいさな信頼の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。

引用元:岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』

世界平和と聞くと途方もなく大きな壁であるかのように感じますが、そのための第一歩は「まず自分が変わること」。

こう書くと、「自分1人の力なんてたかが知れている」「どうせ世界は変わらない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

本当にそうでしょうか。

本当に真剣に取り組んでいる1人がいれば、その姿に触発を受けて1人、また1人と同じ志を持つ人が出てくるはずです。

そうして多くの人の知恵が集まり、世の中を大きく動かしてきたのは、歴史が証明している通りですよね。

目の前の1人1人を大切にし、小さな信頼を積み重ねている人たちをバカにするのは簡単です。

でも、そうやって努力している人たちを見下すことで世界が変わるでしょうか。

本当に平和な世の中を望むのならば、本当に誰もが幸福に暮らせる世界を望むのならば、批判ばかりするのではなく、まずは自分が行動を起こしましょう。

その小さな一歩があなたの身近な人の心を動かし、やがて大きな力になるのです。

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まとめ

『幸せになる勇気』の要約や名言について、ネタバレしつつ紹介してきました。

この本を読むと、「人間とは何か」「幸せとは何か」について深く考えさせられます。

そのどちらのテーマも、私たち人間にとって切り離すことのできない永遠のテーマといえるでしょう。

人間とは何か。

幸せとは何か。

どちらも人の数だけ答えのある問いであり、何が正解かを決めることはできません。

1つだけいえることがあるとするならば、本当の幸せとは物質的な豊かさや自分が持って生まれたものだけで決まるものではないし、周囲の環境で決まるものでもありません。

すべては、自分次第。

幸せになりたいと願うすべての方にとって、本作が生き方のヒントになれば幸いです。

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